daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

自分で、自分の逆鱗を述べるなかれ。

話題にされている方がいたので、

話題と言っても「琴線に触れる」と混同している人がしばしば見受けられる。」というだけの話ですが。

暇つぶしに、訳してみようと思う。

韓非子

全五十五の第十二「説難」

1~6段の6段目

岩波文庫は第一冊に収録されています。

 

例によって、

ctext.org

から引用します。

1. 原文

昔者彌子瑕有寵於衛君。衛國之法,竊駕君車者罪刖。彌子瑕母病,人閒往夜告彌子,彌子矯駕君車以出,君聞而賢之曰:「孝哉,為母之故,忘其刖罪。」異日,與君遊於果園,食桃而甘,不盡,以其半啗君,君曰:「愛我哉,忘其口味,以啗寡人。」及彌子色衰愛弛,得罪於君,君曰:「是固嘗矯駕吾車,又嘗啗我以餘桃。」故彌子之行未變於初也,而以前之所以見賢,而後獲罪者,愛憎之變也。故有愛於主則智當而加親,有憎於主則智不當見罪而加疏。故諫說談論之士,不可不察愛憎之主而後說焉。夫龍之為蟲也,柔可狎而騎也,然其喉下有逆鱗徑尺,若人有嬰之者則必殺人。人主亦有逆鱗,說者能無嬰人主之逆鱗,則幾矣。

 

2. 日本文字に直すと、

昔者弥子瑕有寵於衛君。

衛国之法、窃駕君車者罪(足切り)。

弥子瑕母病、人閒往夜告弥子、弥子矯駕君車似出、

君聞而賢之曰:「孝哉、為母之故、忘其(足切り)罪。」

異日、与君遊於果園、食桃而甘、不尽、以其半啖君、

君曰:「愛我哉、忘其口味、以啖寡人。」

及祢子色衰愛弛、得罪於君、

君曰:「是固嘗矯駕吾車、又嘗啖我以余桃。」

故祢子之行未変於初也、而以前之所以見賢、而後獲罪者、愛憎之変也。

故有愛於主則知当而加親、有憎於主則知不当見罪而加疎。

故諫説談論之士、不可不察愛憎之主而後説焉。

夫龍之為虫也、柔可狎而騎也、然其喉下有逆鱗径尺、若人有嬰之者則必殺人。

人主亦有逆鱗、説者能無嬰人主之逆鱗、則幾矣。

 

3. 読み下し

昔者弥子瑕の衛君寵(め)でらるる有り。

衛国之法、君の車を窃(ぬす)み駕(の)る者は足切りに罪す。

弥子瑕の母病みて、人閒(ひそか)に往きて夜に弥子に告ぐ。

弥子矯(いつわ)りて君の車に駕りて似って出ずるに、君聞き而(しか)して之を賢とて曰く「孝哉、母之為故、其の足切り罪を忘る」と。

異なる日、与君果園に於いて遊び、桃を食して甘しとし、尽(つ)きさずして、以って其の半らを君に啖(く)らわす。

君曰く「我を愛せる哉、其の口味わいを忘れて、以って寡人に啖(くら)わす。」

祢子色衰えて愛弛むに及びて、罪を君に於いて得る。

君曰く「是れ固より嘗て矯りて吾が車に駕り、又嘗(なめ)て我に余桃を以て啖(く)らわす。」

故に祢子之行い、未だ初に於いて変らざる也、

而(しか)し、以前之所を以て賢こま見(れ)、而(しか)し、後に罪を獲る者は、愛憎之変われる也。

故に主に於いて愛が有るならば則ち知は当り而(しか)して親しみが加わり、主に於いて憎しみが有るならば則ち知は当たらず、而して疎(うと)きが加わり罪に見(まみ)える。

故に諫め説き談じ論(あげつら)う之士、愛憎之主を察して而る後説を焉不可から不。

夫れ龍之虫為る也、柔くして狎れ而騎る可き也、

然れども其の喉下の逆鱗有りて径は尺、若し人之嬰(ふ)れる者有れば、則ち必ず人を殺す。

人主も亦逆鱗有り。説く者能く人主之逆鱗に嬰れる無かれば、則ち幾(ちか)矣(い)。

 

4. だにえるやん訳

昔、弥子(びし)、名を瑕(か)というものがあった。衛国の君主の愛人だった。

衛国の法律では、君主の車に、許可を得ずに乗った者は足切り罪になった。

弥子瑕の母が病気になった、と、夜に人がこっそりたずねてきて弥子に伝えた。

弥子は、君主の許可を得ず、管理者に嘘を言って君主の車使った。

君主の聞き知ることとなったが、君主は

「孝である。母親のために、足切り罪を忘れたのだ」

と言い、優れた者であるとした。

 

別の日に、君主のお供で果樹園で遊び、桃を食べた。「甘いな。」と嬉しく思ったが、食べ残し、半分を君主に食べてもらった。

君主は言った。

「私を愛しているからだ。彼は味わいが良いのを忘れて、愛している私に食べさせたのだ。」と。

 

祢子の魅力が衰えて、君主の愛情が少なくなった時、君主に罪を言い咎められた。

君主が言うには、

「彼は、予の寵愛に驕りたかぶり、予の車に乗り、また、食べかけの桃を予に食べさせた。」

 

祢子之の行いは、以前と変わらない。

しかし、以前はこの行いを優れた者であるとされ、後年になって罪として言い咎められた。つまり、行いが変わったのではなく、君主の愛憎に変化があったのだ。

 

同じ事をしていても、主君に愛が有るならば、親しみになり、主君に憎しみが有るならば、疎まれて罪として言い咎められるのだ。

 

君主を諫め、自説を説き、議論を試みる人は、先ず君主の愛憎の行方を察して、察した後に自説を述べる必要がある。

 

は虫類の一種である龍という動物がある。柔くて乗ることが出来る。

しかし、喉下に逆鱗がある。30cm程だ。もし触る人があれば、すぐに殺されてしまう。

君主にも、逆鱗がある。君主に自説を説く人は、君主の逆鱗に触れることがないように述べることができてようやく役割を果たせるのだ。

 

5. 感想

ちゃんと読んで良かった。(ちゃんと読めてないかも知れませんが)

韓非子は、主に君主の教科書であって、部下があの手、この手で取り入る手法を様々に紹介しながら「気をつけろよ。」というのがほとんどです。

しかしながら、上に訳した説難の章だけは、君主のためではなく、韓非子を読んで、君主に仕える人のための章です。

韓非子自身は、秦の始皇帝に、自身の説を役立ててもらおうとして、逆鱗に触れ、殺されてしまいました。

韓非子の失敗を、後輩達が繰り返さないための注意書きが説難です。

逆鱗は、つまり優れた部下が上に進言したときの注意喚起です。

「おまえさんの上司には逆鱗というものがあって、いくら正しく、役に立つことを述べても、お前さんの上司の気分次第で、それが逆鱗に触れたり、触れなかったりするのだよ。」

と注意を促しています。

 

僕は長いサラリーマン生活で

「お前は、俺の逆鱗に触れた。」

と感情的になる上司がいたことがありましたが、

この上司の言い分は

「俺は気分が悪いときには、感情を抑えず、八つ当たりをするのだ。」

と言い放っているような者だったな。

と、思いました。

自分で、自分の逆鱗を述べるなかれ。

今日の学習でした。