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daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

鈴木宗男氏の「母親の責任を追及すべし」に、ディベートの妙を学ぼう。

「ベビーシッター事件」での鈴木宗男氏による乙武洋匡氏への反論が、完全に失敗してしまっている理由 (1/2)

いや、僕は成功していると思う。「母親の愚行を問題視しているのでなく、心構えを問題にしているのだ。」反論ではなく、開き直りです。それなのに、「二人が対立している」と思わせる素晴らしい演出です。まるで魔法。
この魔法を分析して、ディベートの妙を学ぶべきかと思います。

 

それぞれの主張

本件の対立は、痛ましい事件の再発を防止するために、
「先ずは母親の至らぬところを探して、考えよう」と言う鈴木宗男氏の方針と、
「責任を個人に求めず、仕組みとして必要なものを探そう」と言う乙武氏の
方針の違いです。
どちらにも、賛成する方がいるようです。
議論はさておき、鈴木宗男氏の反論の仕方が、とても勉強になりますので、整頓したいと思います。

 

1. 相手の指摘に的確に応えるのではなく、先ずはとにかく反論する。

乙武氏の指摘は、
「事件の再発防止には、個人の責任追及は差し控えた方が良いのでは?」
ですので、的確に反論するならば、
「いや、個人の責任追及をしなければ、事件の再発防止は出来ない。」
と応えるべきです。

 

ただし、そうすると、相手の議論に乗ってしまいます。

 

そこで、宗男氏は次のように反論します。
乙武氏が指摘しているように、「無責任な母親の愚行」と考えているのではなく、「母親としての心が足りなかった。」と言っている」
と。

 

単に、乙武氏が母親の行為を指摘するのは良くない。と言っており、
宗男氏は、行為を指摘しているのでなく、心を指摘している。と応えています。
あたかも乙武氏も、宗男氏と同じように、母親の責任を追及しており、
乙武氏は母親の行為を責めるのは良くない。
と言っており、
・ 宗男氏は、母親の行為を責めているのではなく、心構えが足りないことを責めている。
と、乙武氏の指摘を歪曲して取り上げ、自分の主張の細かい所の差異を述べ、その差異で優位であるかのように申し述べています。

 

乙武氏の指摘を理解している人は、宗男氏の歪曲を卑怯に思うでしょう。
しかし、宗男氏と同じように、母親の問題を指摘したい人たちにとっては、この宗男氏の反論は、立派であり、宗男氏さすが。と思われるでしょう。

 

教訓
論理的に正確であることを目指さず、
自分に賛成してくれる人たちが同調しやすいように、
反対意見を歪曲して示し、
それに返答する形で反論するのが良い。

 

と言うことです。

 

 

2. 人格に疑問を投げつける。

上記の通り、宗男氏の反論は、自分の主張を繰り返しただけで、反論になっていません。どちらかと言うと「開き直り」と表現するのが適切です。
しかし、そんな事を気にしてはイケマセン。
乙武さんの人間性を疑います。」
と言い放つのです。
これは、乙武氏の指摘を理解している人には、
「宗男は話にならない人」
と思われます。
しかし、宗男氏に同調する人は、
乙武氏と宗男氏があたかも対立している
ように感じられるます。

 

教訓
相手の指摘に応えることが出来なくても気にせず、相手を罵倒しておくのが有効な反論である。
と言うことです。そうすると、自分が反論できず、開き直っているだけにもかかわらず、状況がよくわからない人には、自分と相手が対立しているように感じられます。

 

 

3. 不利な場面でも、声を上げる。

鈴木宗男の主張は、未来に向かって問題の解決を論じているのではなく、

過去に向かって、責任の所在を探し、断罪しようとするものです。

火事場で「だから、俺がいつも火の始末はきちんとしろと言っているだろう。」と説教を始める類のものです。火事場では責任の追及をするより、先ず火を消すことです。誰でもわかる優先順位を無視した宗男氏の議論は圧倒的に不利です。

僕が推測するところ、おそらく宗男氏は問題の解決を真剣に考えて提案したのではなく、個人的な感想を漏らしたのではないかとおもいます。

しかし、それを乙武氏に指摘されてしまいました。

政治家としては、大変まずい状況です。黙っていたら、主張が誤りであることを認めたと見なされ、自分が弱者に配慮しない政治家である事を認めたと認識される危惧があります。

なんとかして、状況を変える必要があります。

一発逆転を狙うならば、ブログに書かれているとおり、声の大きい人が有利であり、相手を黙らせれば勝ちを印象付けられる対面での論議をしたいところです。

ですが、直ぐに対面での議論場を設けることは無理な状況です。

そこで、多くの人に吟味されてしまう文字での反論であっても、声を上げました。

結果、上記の通りの工夫で、乙武氏と議論が対立しているような錯覚を与え、もともと宗男氏と同意見の人や、支持者からは、「俺は、宗男氏が正しいと思う。」と賛同を得ています。

 教訓

不利な状況でも、黙っているよりは、声を上げるべきである。
多くの人に呆れられても、一定の支持が集まれば、政治家の行動としては正解です。
黙って、負けを印象づけるよりは、味方を安心させるために、工夫を凝らして発言したことによって、一部の人には存在をアピールすることに成功しました。

 

日本は民主主義の国です。圧倒的多数の支持を得なくても、一定数の指示があれば政治家としてやっていけます。
論理の破綻に気付いたり、現実問題の解決につながらない議論だと思っても、目的は政治家として生きていく事です。
厚顔に鉄面皮を被り、無理を通して道理を退ける鈴木宗男氏を見習い、ディベートに勝利し、世に憚って生きていきましょう。