【恋歌を読みました】
すげー小説でした。
序盤は、嫁ぐまでの江戸時代の恋愛物語です。
中盤は水戸藩内の藩内抗争です。お互いに敵方の武士のみならず、家族も皆殺しにする内部抗争です。主人公が巻き込まれ、凄惨な牢獄の風景が描かれます。
後半はタイトルが「恋歌」である所以を語ります。これがクライマックスです。
中盤は水戸藩内の藩内抗争です。お互いに敵方の武士のみならず、家族も皆殺しにする内部抗争です。主人公が巻き込まれ、凄惨な牢獄の風景が描かれます。
後半はタイトルが「恋歌」である所以を語ります。これがクライマックスです。
引き続き、人の憎しみを克服する手立てを提案した文学の王道を行く人類愛を描いていて、小説は終わります。
最近あまり小説を読んでいなかったので(ノンフィクションが多かったので)、文学の王道を行く魂が込められた大作を読んで、大満足です。
【幕末にイケてなかった水戸藩】
【幕末に水戸藩が為したこと】
攘夷を実行したのは、
長州藩(下関戦争:長州藩 v. s. イギリス、フランス、オランダ、アメリカ 1863、1864)
薩摩藩(薩英戦争:薩摩藩 v. s. 英国 1863)
など。
水戸藩は海外諸国と交戦していません。
長州藩(下関戦争:長州藩 v. s. イギリス、フランス、オランダ、アメリカ 1863、1864)
薩摩藩(薩英戦争:薩摩藩 v. s. 英国 1863)
など。
水戸藩は海外諸国と交戦していません。
【水戸藩の内部抗争】
つまり内部抗争に明け暮れていました。
それほど大活躍でもないけれど、存在感のあった土佐藩、越前藩に対し、
後塵を拝しもしなかった水戸藩
幕末に水戸藩が内部抗争に明け暮れ、全く活躍しなかったことについて、
くだんの小説「恋歌」では、後半で総括しています。
僭越ながら、ここで僕は一つだけ付け加えたいと思います。
それは、
天狗党が掲げた活動目標は、
・ 自ら攘夷を実行する
でもなく、
・ 倒幕して新政府を打ち立てる
でもなく、
・ 幕府に攘夷を実行させよう。
でした。
でした。
幕府への働きかけだけを目標にしたのがまずかったのではないかと思います。
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【現代の会社に喩えると】
業績不振の会社で、改善策を練るときによく摂られる策に、
次の二段構えの策があります。
a) ブレーンストーミングで、とにかく色々策を挙げてみる。
b) 即実行可能なものを実行に移す。
b) 即実行可能なものを実行に移す。
【安直な打開策は、大概自分以外の人が実行するべき行動指針】
業績不振の会社で、打開策を社員に求めると、
大概、自分の部署以外に原因を求めがちです。
大概、自分の部署以外に原因を求めがちです。
・ 生産部門は、営業部門のふがいなさを挙げるものです。
・ 営業部門は、品質の悪さを挙げがちです。
・ 営業部門は、品質の悪さを挙げがちです。
・ 現場で奮闘している人は、管理部門の段取りの悪さを言いつのり、
・ 経営層は、現場の協力関係がうまく行っていない事を指摘するものです。
【思っていることを口に出すのは悪いことではない。だが、そこで終わらせない事】
そこで、ブレーンストーミングをすると、
上記のように他者に原因を求める指摘に混ざって、
自分たちの部署で出来る改善提案も出てきます。
自分たちの部署で出来る改善提案も出てきます。
実は、ブレーンストーミングの目的は、この「他者にだけ求める改善提案」からの脱却なのです。
すると、大半の他力本願
「他の部署が、、、」
と言う意見が退けられ、
各部署が対策に取り組み始める事が出来ます。
各部署が対策に取り組み始める事が出来ます。
業績不振からの脱却成功例として、よく耳にする策です。
何か対策が必要なときに、他者に改善を求めている間は一向に行動に移されず、
意見を述べている人が自らなにがしかの行動に移ったときに対策が実行に移される。
と言うことです。
意見を述べている人が自らなにがしかの行動に移ったときに対策が実行に移される。
と言うことです。
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【幕末の水戸藩は”自分たちが出来る事”にまで、目標を吟味/昇華できなかった。】
幕末の水戸藩のように、幕府への働きかけだけを目標にすると、
実行できるのは
実行できるのは
「政争のみ」
です。
~ 自ら攘夷を実行することも無く、
~ 御所の警備に参加することも無く、
~~意見が異なるものを殺しまくるのみ。
「実際に攘夷を行うと、どうなるのか。」
など、そこから学ぶ事が多いワケです。
また、実際に政権を担っている幕府は、現実的な対応をしているわけですが、その建前を貫けない苦渋の選択も理解できるようになるかもしれません。
が、攘夷も、尊皇も実行しなかった水戸藩は、
最後まで
攘夷を実行することも、
尊皇の場に立つことも、
また現実を知って方針を修正する機会も
無かったと言うことだと思います。
小説では、殺し合いによる恨みの連鎖をいかに断ち切るかがテーマになっていますが、
僕は、もう一つ手前に原因を求めてみました。
僕は、もう一つ手前に原因を求めてみました。
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なので、あまり批判される事が無いようです。
今でも水戸藩は
「新しい世を生み出すために貴重な犠牲を払った。」
と、持ち上げられているようです。
火事場では、誰が悪いかを追及するよりも、目の前の火を消すことです。
交通事故が起きてけが人がいる場合は、どちらに非があるかを議論するより、けが人を救護するのが先決です。
水戸藩を良しとすると、火事場で
「だから、オレが普段から火の始末はちゃんとしろと言っていただろう。」
と説教を始める人が出現し、
交通事故でけが人を放ったらかしにして
「おまえがよそ見をしていただろう。」
と口げんかを始めてしまうような人が増えるような気がして心配です。
それほど、緊急事態ではなくても、現場の混乱を無視して、会議室から「オレが言っているのが正論だろう!」と怒鳴る声が聞こえてくるような気がします。
何が正しいか、どちらが理に適っているか、議論するよりも、出来ることを自らする方が良い場面も多々あります。
と、言うわけで、
水戸藩を賞賛することは出来ない。
と思う梅雨入りの夜更けでございました。