daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

言い訳を用意した人生を送るなんて、まっぴら御免だ!

解説が必要だと思いますので、先ずは解説。
元ネタの日経ビジネスオンラインのコラムは、日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問の北見一郎氏の連載です。
第三回は、トラウマやPTSDを理由に「結婚できない」「子どもを産む自信がない」と言う必要はないのだよ。
と言う趣旨の(と僕は理解した)ものです。
PTSDが存在しないのかどうかは、さておき。
時を経て、何かに行き詰まった時、それを子供の頃のトラウマを理由にして諦めてしまうのは間違っている。と僕も思うものです。
 
もちろん、どのように生きようと、その人の勝手です。僕が口を差し挟む事ではありません。
ただ、僕は高校生の時に
「もう、言い訳をしながら、尻込みをして生きることはやめよう。」
と心に誓った経験があり、
これが、僕の愉快な人生の幕を開けたように思います。
それを聴いてもらいたい、とはてブにてお目文字いたしたわけです。
しばし、お付き合い下さい。
 
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僕が高校一年の夏の話です。
中学生の時には市の強化選手に選出されるまで熱心に取り組んでいた軟式テニス部を休んでいました。
高校一年の夏に休んでいる。
と申し上げると、
「入部して直ぐではないですか?」
と突っ込みが入るかも知れません。
が、僕は入学前の三月から部活に参加し、
五月には県大会にも出場していました。
ですから「高校一年の夏」は既に入部してから半年近く経った出来事です。
正当な理由がありました。
持病のガングリオン(間接腫)の二つめが右手首に出来ていました。
「病気なのだから、部活を休むのは当然。」
正当な理由です。
 
だけれど、僕は、これが単なる言い訳であることに気が付いていました。
高校に進学すると、すでに中学生の時ほど、抜きんでて人より優れた選手ではありませんでした。
それどころか、中学生の時に顧問の先生に仕込まれたバックハンドレシーブ(クローズスタンスで打つ、ドライブの掛かったレシーブ)は、フォームが崩れてまともに打てない状態です。
下手っぴぃも良い所でした。
下手な上に、持病のガングリオンで手首を曲げると痛い。
崩れたクローズスタンスで打つバックハンドレシーブから腰痛に悩まされるようになりました。
無理して重たいラケットを使ったことが原因で、テニスエルボーの激痛も経験していました。
「もう、テニスなんてやりたくない。」と思っていたのでした。
 
嫌な部活を、病気を理由にして休んでいる。
そんな自分の態度に悩んでいました。
 
で、決断しました。
「病気を理由にするのはやめよう。」
と。
で、たまたま誘われて見に行った友人のライブに感激して「俺も、バンドやるべぇ。」と、決意しました。
で、テニス部は止めました。
(ただ、スムースに辞めたかったので、退部理由は、「手首の病気」としました(^_^;)
 
それが、僕の人生の始まりだったように思います。
 
バンドではキーボードを担当したのですが、持病のガングリオンで手首が痛くたって、トレモロも平然と弾くし、早いソロで手首を何度も返す三オクターブの駆け上がりだって、笑顔で(ドヤ顔で)弾きこなしました。
(ただし、その後鍵盤を弾くのも困難になったのと、実生活にも支障を来すほど腫瘍が大きくなったので、バンドを一ヶ月ほどお休みして、外科手術で摘出しました。
が、傷口が癒える前に、「暇だなぁ」と、ピアノをがんがん弾きまくったら、傷口が開いて、今でも目立つケロイドになりました。
しかし、全く、後悔とかしてません。「好きでやっている」と言う意識は、なんと強力なモチベーションと前向きな気持ちを与えることでしょうか!)
 
 
この事があって以来、何か嫌な事があっても、
「自分が本当にやりたいのか、どうか」
を先ず自問し、やりたいのであれば、不満を述べずに克服するように努力し、
「本当は、それほどやりたいことでもない。」
と思えば、他に理由を探して保留にすることをせず
「やめます。」
と撤退するようにしています。
 
周囲を見渡すと、何かと言い訳を述べながら中途半端に、仕事やレジャーや家庭運営をしている人が結構いらっしゃるようです。
どうせ同じ事をやるなら、「案外、楽しいよ。」と言いながらやりたいじゃありませんか。と僕は思います。
例えば、仕事自体が楽しくなくても、
「俺の家族が食うに困らないために頑張るサ。」
と言うのも、同じ主体的な態度だと思います。
 
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「本当は俺はこんな事はしたくないんだけれど。」
と言いながら取り組むのがスタイルだという人に文句を言うつもりはありません。
でも、なんだか精神衛生に悪そうだし、
失敗したときに直ぐに諦めるようなやり方をしているのは効率も悪いように思います。
そう言う人に限って
「損をするのは御免だ。」
とおっしゃります。
その上に、失敗したときに
「損をした。俺は好きでやっていたのではない。」
と言い訳を用意しています。
つまり、その人の人生は、何にでも言い訳を用意しながら取り組み、失敗しては
「損をした。」
と残念に思う残念な人生なのです。
 
誰でも、言い訳に出来る幼少期の経験や、生い立ちや、病歴なんて、探せば見付けられるのではないかと思います。
でも、残念に生きる人は、それを積極的に「言い訳」として活用し、
楽しく生きる人は、それを理由にせず、今自分がやりたいのか、やりたくないのか。と考えて判断しているのではないかと思います。
 
もし残念な人生を意識して選んでいるのであれば、相当変わった趣味なのだなぁ。と不思議に思うし、
意識せずに選んでいるのであれば「愚かな人だなぁ」と思います。
でも、まぁ、何回も書くようですが、僕が口を差し挟む必要は無いですよね。
 
でも、そうでは無く、
PTSDなんて存在しない(か、どうかは実際のところ僕はよくわかりませんが)」
と言うことにして、
失敗したときに、続けるか、諦めるかを、
自分の熱意のありように耳を傾けて、考えるようにすれば、
よりよく生きられるように思うのです。
 
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長々と駄文にお付き合い頂きありがとうございます。
でっかい颱風がやってきていますが、通り過ぎた後は、楽しみな夏がやってくるように思います。思う存分、今年の夏をエンジョイしましょう。
言い訳を用意して夏を迎えるのでなく、
自分が楽しみにしている夏を歓迎するのです。
多少風が吹こうが、天候が優れなかろうが、
「多少しょぼいが、俺は夏が好きだ!」
と歓迎して愉快に過ごしましょう。
 
皆さんも愉快な夏をお過ごし下さい。神の息吹が貴方にも吹かれますように♪