読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

整形美女/姫野カオルコ を読んでます。

整形美女/姫野カオルコ を読んでいます。

むろん、単行本発行時に読んでいたのですが、光文社文庫で新たに発行されたので、読んでいます。

整形美女 (光文社文庫 ひ 18-3)

整形美女 (光文社文庫 ひ 18-3)

 
Kindle版もあるようです。
整形美女 (光文社文庫)

整形美女 (光文社文庫)

 

読み終えたら、僕のブログ本体

daniel-yang.hatenablog.com

に感想を書く予定ですが、自己ルール(「全部読み終わってから」「全体を通じての感想を書く」「理解不足な点は調べてクリアにしてから」「同じ作家の作品は4冊おきに」)などが足かせとなり、最近ほとんど更新していないので、「勢いで書くときにはこちら。」と言うことで、ココに記す次第です。

 

記憶していたより面白い小説でした。

「え? この小説ってこんなに面白かったっけ?」
と言うのが、光文社文庫版を読んでの最初の感想でした。

 

ギリシャ彫刻のような美人の甲斐子が「美人ではないけれど可愛い」と言われる容姿へ、綿密な計画の元に美容整形手術を受けます。
「美人ではないけれど可愛い」と言われる阿倍子が完璧な美人へ、美容整形外科院にカモられるように美容整形手術を受けます。
着実に計画を実行し、モテ女へと変貌していく甲斐子。
成り行きで美人になり、モテなくなる阿倍子。
容姿を入れ替えたような二人の、手術を受ける学生時代から、その後の歩みが
時より交叉しながら、語られます。

 

執拗に「美人」と「モテ」とが異なる事が説かれる点を含め、大筋は記憶の通りでした。
坂口安吾の作品が「エッセイが小説的で、小説がエッセイ的」と言われたのと同じ意味で、エッセイ的な小説です。

 

”モテ”について考える小説です。

男の僕でも「容姿さえどうにかなれば。」と思うこともあります。
この(男性の)心理は、林真理子の処女小説で描かれていたのが思い出されます。
新装版 星に願いを (講談社文庫)

新装版 星に願いを (講談社文庫)

 
増毛院でバイトを始めた主人公(女)が、
「どうして、毛を増やしただけでモテるようになる、と信じることができるのか。」
と通院してくる男性の心理を測りかねるエピソードが記憶にあります。
「美容整形」
「増毛」
結局のところ、沈着冷静に「モテるため」ではなく、
自分に自信を与えるための魔法の杖を得るためのものなのかな。
と思う次第です。
「モテ」については、姫野カオルコのデビュー当初のエッセイふう連作掌編小説集
ガラスの仮面の告白 (角川文庫)
 
の解説で南伸坊が記している二つのルールが記憶にあります。
「自分がモテると信じる」
「相手を選り好みしない」
つまり、実際には「美人である」とか「頭髪が豊富である」とかは、”モテ”には、関係が無い。です。
僕は、これを支持しており、(もちろん、このように述べるのは、気恥ずかしいのですが)自分に
「世の中の女性の中には、こんな僕が好み。と言う女性も少なからずいるだろう。」
と暗示を掛けて久しいです。
実際、僕の友人でモテる(同時に複数の恋人がいたり、とびきり容姿が優れた恋人がメロメロになっている)男を、よーく考えてみると、決して容姿が優れている人ばかりではないです。背が低く、頭髪が薄く、小太りで、運動もできず、おしゃべりが面白いわけではない男がモテているケースがあります。
逆に、容姿を追及している人(綿密にお肌のお手入れをして、身体を鍛えている人が、とりたててモテるワケでもない矛盾も知っています。
そこで、僕のここまでの考えをまとめると
「モテるためならば、容姿をいじる必要は無い。先ずは自分がモテると暗示を掛けることだ。」
です。南伸坊の受け売りですね(^◇^;)

ところで、自分はどのように女性を選んでいたかと言うと、

この小説では「モテ」と「美人」は違うと言うことが説かれているわけですが、では僕はどうか、と考えてみました。
すると、ですね、「体力」でした。
「体力」と言う基準は、柴門ふみのエッセー
男性論 (角川文庫)

男性論 (角川文庫)

 

か、

ラッキーで行こう (新潮文庫)

ラッキーで行こう (新潮文庫)

 
で「男を選ぶ際に、腕力は不要だと心得ておこう。腕力ではなく、体力はあったほうが良いぞ。」と若い女の子にアドバイスしていたのを読んだ記憶があります。
で、僕も女性を「美人かどうか」ではなく「体力」で選んでいたように思います。
選んでいた、と言うよりも「長時間歩くデート」が僕の(そして、僕の彼女との)定番であり、お互いに「長時間歩いても平気」な体力があることを確認しながら付き合っていたように思います。
と、言うのは、最近実写映画になった
海街diary 1 蝉時雨のやむ頃

海街diary 1 蝉時雨のやむ頃

 
を読んで思い出す、
江ノ島から、鎌倉まで江ノ電沿いのロング・ウォークのデート(実際は、五人くらいのグループで、デートではなかった)
や、
建長寺を登って、天狗が沢山いる半僧坊~天園ハイキングコース(これは二人で歩いたコースだけれど、恋人未満でデートではなかった)

www.yamagirl.net

や、
学生のころの、北の丸公園から内堀沿いを半周して、半蔵門~四谷までの散策デート(これも、男女混合四人か五人での夜中のウォーキングでデートではない)
です。

小説のスタンス

小説の(エッセイ的な)テーマはずばり「美容整形の是非」です。
社会問題(他人事)として考えるのではなく、実際に美容整形を考える時期の、若い女性の立場で描かれているのが特徴的な小説です。
ハイライトで、術後の阿倍子が
「なぜ、美容整形が後ろめたいのか。」
を語ります。この述懐は僕の腑に落ちました。
僕も、自分の容姿に不満がある箇所はいくつかあり、「手軽で安価で安全なら美容整形ってどうだろう?」と思っていました。
でも、この小説を読むと、別の意味で、自分の幸せを考え、美容整形の是非を考える事ができたと思います。

幸せになるためには

結局のところ、美容整形にしても、増毛にしても、手段にこだわるのではなく、
「幸せになるにはどうすればよいのか。」
と言う問題である、と我に返って思います。

ただし、僕は現在、この小説で阿倍子が「なぜ、美容整形がうしろめたいのか」を語ったのを読んで、腑に落ちた時点で、あわてて記しています。
「幸せはどうなのか?」
は、確かこのあとに記されている筈ですが、読んでいません。

 

と、言うわけで、中途半端な読書感想文ブログとしての本エントリーはここで、筆を置くことにします。

 

皆様、どうか、お幸せに。