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daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

太宰治作品でオススメ。「ロマネスク」

「ロマネスク」がオススメです。

ロマネスク

ロマネスク

 
教科書に載っている「走れメロス
走れメロス

走れメロス

 
を読んで、
「では、夏休みの読書感想文の宿題は『太宰治』で。」
と思った、中学生(または大人びた小学生)のみなさんにお勧めの太宰治作品を考えてみました。
 
太宰治の代表作「人間失格
人間失格

人間失格

 
ここではお勧めしません。
人間失格」は、青春真っ盛りの頃に読んで、感動する作品だと思います。
作中で、主人公が残念に思うエピソードがあります。
「このへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
偉そうに忠告する友人に対して、
「世間というのは、君じゃないか。」
言いたかったけど言えなかった。
この気持ちに共感すると、太宰治作品に熱中します。
太宰治ファンにこのエピソードに感動したことを話すと、
「そう、そうなんだよ。僕も世間を名乗る奴にはうんざりするよ。」
と盛り上がります。
親の世話になっていることにうんざりし始める、高校卒業間際や、大学に通う成人式前後。
「誰にも気兼ねなく、自分の好きなように生きていきたい。」
「先ずは、親に養育されている状態を卒業しなくては。働いて、自分で稼いだ金で生活したい。」
と願う、強い自立心が芽生えた頃に読むと、太宰治が世間にうんざりしていた気持ちに共感し、理解者を得たような感激が生まれるのではないかと思うのです。
ですが、中学生(または大人びた小学生)が、夏休みの宿題の読書感想文に「人間失格」を選んで「世間を名乗るような奴は信用出来ない、と、僕も思いました。」と書いても、先生に評価されないような気がします。
「生意気。」
と言われてしまうか、
悪くすると「インターネットで検索した文章を丸写し下ものだろう。」と疑われるかもしれません。
ですので、中学生の皆さんが、太宰治が指摘した「偉そうに世間を名乗る奴ら」への恨みに共感したとしても、もう少しのあいだ、太宰治への共感を自分の心の内に秘めておくことをお勧めします。

太宰治の普通の小説作品

幸いなことに、太宰治作品は、屈折した心や、憂鬱な気持ちを表現した作品ばかりではありません。
走れメロス」の他にも、単純に愉快な作品があります。
絵画で喩えれば、ピカソのようなものです。
ピカソの作品として思い浮かぶのは、難解なキュービズム作品、例えば「泣く女」
など、ですが、実はピカソは若い頃に普通の絵も描いていました。
 
太宰治の作品にも、普通の作品があります。
 
太宰治の故郷は青森県です。冬になると雪に閉ざされる地方です。
雪で外で遊べない季節に、囲炉裏を囲み、順番にお話しをして、団らんの時を過ごす地方だそうです。
太宰治作品には、冬に囲炉裏端で語られるような作品があります。

 ロマネスク

「ロマネスク」がオススメです。
ロマネスク

ロマネスク

 
僕は、新潮文庫の短篇集「晩年」に収録されているのを読みました。
晩年 (新潮文庫)

晩年 (新潮文庫)

 
僕が読んだのは、上記2005年版ではなくて、1985年の70刷改版ですが。
263ページから、290ページまで。28ページ分。
どのくらいの時間で読めるものか、
今、ちょっと読んできます。
 皆様も、青空文庫でどうぞ。

 

ーーーーー

 

一時間七分で読みました。
 
だいぶ丁寧に読みました。普段僕は、おおよそ一時間で50ページ程度のペースで読みます。普段の半分くらい速度で、ゆっくり読んだ計算です。
それでも一時間程度。
短編ですね。

構成

三人の男の物語で構成された短編です。
  1. 仙術太郎
  2. 喧嘩次郎兵衛
  3. 嘘の三郎
三人の物語はそれぞれ独立しています。
仙術太郎は津軽青森県)、喧嘩次郎兵衛は三島(静岡県)、嘘の三郎は江戸深川(東京都)の生まれです。
異なる地方で生まれ、親の期待を背負って成長し、若くして挫折します。
挫折し、故郷を捨て、江戸に出て酒場で憂さを晴らしているときに出逢って意気投合するまでの物語です。

三者三様の挫折

この小説が愉快なのは(人の挫折を愉快と言ってしまうのは、多少気が引けるものですが)、それぞれが人並み外れた能力を、努力と共に手に入れながら、それが思うように役立たず、挫折してしまう過程にあります。

仙術太郎

仙術太郎は、生まれながらにして不思議な力を持っています。幼少期には、その能力で、村を救うなどの大活躍をします。
幼少期の赤子らしからぬ、ぞんざいな動作の描写が愉快です。
「そんな、赤ん坊がいるわけないだろう。」
と突っ込みを入れながら読みました。
赤ん坊の仙術太郎は、授乳される際に、自ら泣いて乳房を探すのではなく、大きく口を開いて乳を与えられるのを待ちます。この横柄さが、本来可愛いはずの赤ん坊のイメージとかけ離れており、風変わりで面白く感じました。
そもそも「仙術」が現実にはあり得ない能力ですので、赤ん坊が現実離れしているのもあたりまえなのですが。
能力に磨きを掛けるために仙術を身に付けるのですが、いざ、自分の将来のために術を使ったところで挫折します。

喧嘩次郎兵衛

喧嘩次郎兵衛は、喧嘩が強くなりたいと願い、修行を積みます。
腕力も身に付けますが、面白かったのは「口上」です。決めの台詞です。
「型どおりでは実際の感じがこもらぬ。」
と型破りな台詞を思いつき、練習します。
女言葉のようで、普通の人が言ったら笑われそうな台詞ですが、
鍛えて、凄みのある目でにらみつけながら言われたら、たしかに怖そうです。
厳しい修行の末、喧嘩が強くなった次郎兵衛ですが、喧嘩で力を発揮する機会がありません。残念に思っているところで、挫折します。

嘘の三郎

嘘の三郎の特殊能力は「嘘つき」です。学者の息子として生まれた嘘の三郎は、少年時代に親に叱られて、反省の言葉を述べたところから(反省の言葉が自分がほんとうに思っていないと言うことで)嘘をつき始めます。
その後も普通なら逮捕されて牢屋に入れられるような事をしても嘘で乗り越えます。
その後、嘘つきの長所を生かして、小説を執筆。大成功を収めますが、父親が死んで、その教えが、本来自分が信服している内容では無いことを遺言で白状したのを読み、嘘が自分だけの特殊能力では無いことに白けた思いを感じ、挫折します。

ヒーローにはなれない

以上のように、この小説は、人並み外れた三人の、人並みからの外れっぷりが愉快です。ですが、読書感想文にお勧めしておきながら「面白い小説ですね。」とだけ述べても、お勧めの文章にはなりませぬ。
なにか、この小説から得られる教訓めいたものを考えてみようと思います。
 
プロも顔負けのスーパースターが登場するスポーツもののアニメや、実写の戦隊もののTV番組に熱中した少年時代をそろそろ卒業する頃、僕はどうやら自分がヒーローになることができない、と悟りました。
僕の場合は、パソコンでした。小学生の時にパソコンを親に買ってもらいました。BASICをお勉強し、簡単なプログラムを組みました。三目並べ(いわゆる「まるばつ」)をパソコンの画面上で対戦できるようにしたものです。仮想画面(行列の変数)で「まるは+1」、「ばつはー1」と定義して、列の和の絶対値が3になったときに勝負が付いたと判断します。
「小学生で、こんなプログラムを組んだものは他にいないだろう。俺は天才プログラマーだ。将来は、世界を変える大物になれるかも。」
と思いました。
しかし、中学生になってみると、同じくらいの年齢の子供が、もっと複雑(で実用的)なゲームソフトを雑誌に発表している事を知りました。また、お店で売られているようなアプリケーションソフトが、工夫されたアルゴリズムを使い、僕が組んだプログラムとは天文学的な差がある複雑な算術式を用いていることを知りました。
小学生の時の「大物になれるかも。」との思いが勘違いであることを知り、挫折をしたわけです。
 
中学生の僕は「嘆いていても仕方がない」と考え、学校の勉強に取り組む事にしました。
学校の勉強を真面目にこなし、卒業すれば、普通のサラリーマンにはなれるだろう。と考えてのことです。
 
では、自分に特殊能力があればヒーローになることができたのでしょうか。
この小説を読むと、たとえ自分に特殊能力があっても、ヒーローになることが困難であることを思い知りました。
 
少年向けの小説は、隠れたテーマとして
「複雑怪奇な大人社会。」
「どのうように折り合いを付けて、飛び込んでいくか。」
と言うテーマが盛り込まれていることが多いそうです。
 
「ロマネスク」は、特に少年向けというわけではありませんが、同様に「特殊能力があっても、社会には受け入れられない。」ではどうすれば良いのかしら。
と悩む三人の挫折を読んだ読者が、
「それでは、凡人である僕はどう生きようか。」
と、一緒に考えるようにできているようにも感じられます。
 
小説のエンディングで嘘の三郎が叫んで示した方向性を、真に受けて、芸術家と言い張ってひたすら世に憚ることを目指すのもひとつの生き方だと思います。
また、これを「ヤケになっている。」と捉えて、つまらなそうだけれど、人並みの生き方を考える切っ掛けにすることもできると思います。
さて、僕はどう生きようか。
 
と、言うような内容で
「教訓を得ました。」
と感想文を結ぶと、多少さまになるような気がします。
 
あまり、宿題の参考にはならないようですね。
せっかく、僕のつたないブログを読んでもらった皆様には申し訳ない気持ちがあります。
が、残り少ない夏休みをそれぞれ工夫されて、楽しくお過ごしくださることを希望して、このエントリーを終わりとします。
ごきげんよう。