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daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

愛こそ全て、ではない。

韓非子(韓非、中国B.C.280 ~ B.C.233)から。ワタクシ=Daniel Yang(ハンドルは中国人ぽいが、北京に一度観光旅行したことがあるだけ

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の生粋の日本人)による無謀な和訳第2弾です。第一弾は、こちら。

テキスト

テキストは、前回と同じくこちら。
八説
の第6段。
慈母之於弱子也,愛不可為前。然而弱子有僻行,使之隨師;有惡病,使之事醫。不隨師則陷於刑,不事醫則疑於死。慈母雖愛,無益於振刑救死。則存子者非愛也,子母之性,愛也。臣主之權,筴也。母不能以愛存家,君安能以愛持國?明主者,通於富強則可以得欲矣。故謹於聽治,富強之法也。明其法禁,察其謀計。法明則內無變亂之患,計得則外無死虜之禍。故存國者,非仁義也。仁者,慈惠而輕財者也;暴者,心毅而易誅者也。慈惠則不忍,輕財則好與。心毅則憎心見於下,易誅則妄殺加於人。不忍則罰多宥赦,好與則賞多無功。憎心見則下怨其上,妄誅則民將背叛。故仁人在位,下肆而輕犯禁法,偷幸而望於上;暴人在位,則法令妄而臣主乖,民怨而亂心生。故曰:仁暴者,皆亡國者也。
の前半、君安能以愛持国?までです。

切っ掛け

今朝ほど、Twitterで@Kanpishiさんがつぶやいたのを切っ掛けにしています。
@Kanpishi さん(たぶん日本人の誰か)を僕は存じ上げないけれど、Twitterの一回分によくまとめてツウィートするものだ、と畏れ入る次第です。
岩波文庫では、全四冊の第四冊に収録されています。
韓非子〈第4冊〉 (岩波文庫)

韓非子〈第4冊〉 (岩波文庫)

 
それでは、おそれおおくも、習ったことのない中国語を訳してみましょう。
ちなみに、僕は卒業研究では、習ったことのないドイツ語の論文をお手本にピリジンの誘導体を合成しました。「おい、"Alkohol"ってアルコールのことだよね。」「そうだな。エタノールの事だろうな。」「エタノールは酒税が掛かるから、メタノールを使おうか。」「そうだな。」と言うような事をコンビの男と相談しながら化学合成をしていました。
その前に、上のChinese Text Projectテキストのコピペは中国語の文字なので、日本語の文字に直します。
慈母之於弱子也、愛不可為前。然而弱子有僻行、使之随師;有悪病、使之事医。不随師則陥於刑、不事医則疑於死。慈母雖愛、無益於振刑救死。則在子者非愛也、子母之性、愛也。臣主之権、筴也。母不能以愛存家、君安能以愛持国?明主者、通於富強則可以得欲矣。故謹於聴治、富強之法也。明其法禁、察其謀計。法明則内無変乱之患、計得則外無死虜之禍。故存国者、非仁義也。仁者、慈恵而軽財者也;暴者、心毅而易誅者也。慈恵則不忍、軽財則好与。心毅則憎心見於下、易誅則妄殺加於人。不忍則罰多宥赦、好与則賞多無功。憎心見則下怨其上、妄誅則民将背叛。故仁人在位、下肆而軽犯禁法、偸幸而望於上;暴人在位、則法令妄而臣主乖、民怨而乱心生。故曰:仁暴者、皆亡国者也。
日本語の文字に直す際に、
およびATOKに力を借りました。
これの前半、君安能以愛持国?までですね。
 
では、読み下してみましょう。

訓み下し

慈母の弱子に於けるや、愛は前を為すべからず。
然れども弱子に僻(ひが)む行いあれば、これを師に随(したが)わせしめ、
悪い病いあれば、これを医に事へしむ。
師に随わざれば、則ち刑に陥り、
医に事へざれば、則ち死に擬(ちか)し。
慈母愛すといえども、刑を振り、死より救うに益無し。
則ち子を在する者は、愛にあらざるなり。
子母の性は愛なり。
臣主の権は、筴(さく)なり。
母が愛を以って家を存すること能わず、君安(いず)くんぞ能く愛を以って国を持せんや?

 Daniel Yang訳

母親が幼い子供に注ぐ愛情に勝るものは無い。
しかしながら、子供が非行に走れば、学校に通わせ躾をさせる。
病気に掛かれば、医者に診せる。
学校に通わなければ、そのうち刑罰を受けるような犯罪を犯し、
医者に診せなければ、悪くすれば死んでしまう。
母親がいかに子供に愛情を注いでも、犯罪を犯さないようにすることも、病死から逃れるようにすることもできない。
すなわち、子供が健全な社会生活を送るように成長させるのは、愛情ではない。
 
母親と子供との関係は愛情が基礎になっている。
主従関係は、打算が基礎になっている。
母親が愛情をもってしても、健全な家庭を築くことができないのに、
国のあるじが、いったいどうやって愛情で健全な国家運営をできるのか。
愛情を言いつのっても、健全な国家運営はできない。

感想

韓非子ですので、この後は君主論に続いていきます。
有名な「矛盾」も、聖人君主と賢人宰相が並び立たないことを説明するためのたとえ話です。
君主が聖人ならば、賢人宰相はいらない。君主が愚昧でないと賢人宰相と言われる人は出てこない、と説明するためのたとえ話です。
この「愛にあらざる成り」は、母親だけに「愛情をもって子育てをせよ。」と言っても、まともな子供が育つわけがない、と、あたりまえのことを述べて、ましてや国家運営をするのに仁者が徳をもって、まつりごとを行えば良いなどと、夢物語を言う奴は馬鹿だ。と、説明しているわけです。
子供がまともな大人になるためには、医者も、学校も必要ですよ。と、言ってみればあたりまえの事を述べて、国家を運営するのには、法律と、法律を守らせる仕組みが必要ですよ。と説明しているわけです。

大原幽学

「じゃぁ、親の愛情以外に必要なものって何?」
と気になったところで、大原幽学(農政学者、世界初の農業協同組合を提唱/設立。1797 ~ 1858)が提唱した換え子制度を思い出しました。
江戸時代。愛情を注いで自分の子供を育てるだけでは不十分。他人の家にあずけて、育ててもらうのはいかが?と言う制度です。
そう言えば、僕が小学校に上がったばかりの夏休み。どういういきさつだったか忘れたけれど、一週間ほど従兄弟(男女四人兄弟)の家にあずけられた事がありました。
恒例だった母親の実家(祖父は僕が生まれる前に亡くなっていたので「おばあちゃんのうち」)で過ごす親の盆休みが終わりを迎えた後、帰宅する両親、兄と弟を見送って、僕は、叔母と従兄弟に従って、おばあちゃんのうちの近所の従兄弟のおうちに行ったのでした。
印象と言えば、シャンプーを使わずに石鹸を髪の毛にこすりつけて洗髪する習慣が新鮮でした。風呂の入り方以外にも、食事の仕方や、トイレの使い方など習慣に違いがあることを知り、昼間は水着に着替えてから、自転車に乗って海に泳ぎに行くのも新鮮でした。東海道線より海側で、家の前が防砂林の松林なのに、海水浴場は花水川を越えて大磯まで行ったのでした。男のみの兄弟で育った僕は、女児と一緒に過ごすことも(待ったり、気を遣ったりする従兄弟の様子を見て)新鮮でした。
シングルマザーが、子供をあずけて殺されちゃった事件や、放置して死んでしまった事件など「誰かにあずけられれば良かったのに。」と言うケースばかりのような気がします。
すると、今少子化対策に取り組むには、シングルマザーが安心して「時には子供をあずけてスキーにも行ける」制度なんかが有効なのではないのかな。
などと思ってしまいました。
 
だんだん考えが発散してきましたので、今日はこのへんで。おやすみなさいませ。