daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

僕も徒然草第一五〇段を訳してみましょう。

切っ掛け

ハルトライさんが話題にしているので、
僕も訳してみようと思う。

さりとても

とは言えども、僕は、高校の科目「古文」は常に赤点。漢文の時と同じ。再試験を実施してくれたのですが、それでも勉強せず、ほとんど解答できませんでした。先生が哀しい眼をしながら「卒業させてやるよ。」と、お情けで単位を取得しました。先生、ゴメンなさい。
ただし、二年生の時に教材に取り上げた徒然草は、先生が
「どうせ、君たち理系クラスの生徒は古典を勉強しないのだろう。ならば、味わいだけでも覚えておきたまえ。」
と、面白いエピソードの段ばかり取り上げたので、記憶に残っています。「これも仁和寺の法師」と言って、仁和寺の坊主がおばかなボケを披露するエピソードの段ばかり、いくつか、記憶があります。
この時に僕は学習しました。理系の科目に専念するべきであると。
「古典は面白い。しかしながら、いかんせんテストで得点が稼げない教科が必要な職業に就けば苦労するであろう。面白いかどうかよりも、テストの点数が楽に稼げる科目が性に合っているという事だろう。数学と物理を勉強して仕事になる職種を選ぶべし。」と。そして、三年生で先生を悲しませました。重ね重ねゴメンなさい。

原文

本日ハルトライさんのブログ記事を拝読し
「なるほど、現代の若者が励みにするような段もあるのか。」
と、「仁和寺のおばかな坊さん」のお話しばかりではない、と知りました。
そこで、岩波文庫西尾実・安良岡康校注に頼って訳してみようと思います。
新訂 徒然草 (岩波文庫)

新訂 徒然草 (岩波文庫)

 
テキストは、上記岩波文庫です。
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
未だ堅固かたほなるより、上手の中に交じりて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。

逐語訳

では、だにえる・やんによる逐語訳(ほとんど岩波文庫の注釈のコピーです(^_^;))
芸能を身につけようとする人が「上手にできないうちは、なまじっか、人に知られまい。人に知られぬように、こっそりと、すっかり習得して、人前に出てやってみせたのは、たいへん奥ゆかしい事だろう。」と常に言うけれども、そう言う人は、一芸も習得することはない。
まだ全然芸が未熟なうちから、じょうずな人のなかに混ざって、けなされ、嘲笑されても、恥ずかしがらず、平気で押し通して、稽古に熱心にうちこむ人は、生まれつき、「骨」、すなわち対象の本質をとらえる心の働きがなくとも、芸道に停滞せず、わがまま勝手にせずに、年を送れば、器用でじょうずな人が、稽古にうちこんでやらないのよりは、最終的には世間から名人・じょうずと認められる境地に達し、人品が十分に伸び備わり、世間の人から認められて、他に比類無き名を得る事だろう。
世間で第一流の、芸の名人でも、始めは、堪能でない、下手な人と評判を立てられ、ひど過ぎる恥辱もあったのだ。されども、芸道のいましめを正しく守り、これを尊重して、勝手気ままにふるまわなければ、天下に知られた大家として、万人の師となる事、諸道変わることはない。

意訳

では、上記が僕が書いた文章だと仮定して校正してみましょう。主語、述語一対ずつ、平易な表現、現代語を心がけて意訳してみます。
「うまくなるまでは、内緒にしておこう。」
歌やダンスなどを始めた人からよく聴かれるセリフです。
「練習しているところを誰にも見られないようにしよう。誰にも知られずにこっそり練習して、うまくなるんだ。そして、すっかりうまくなったところで、人前で披露しよう。そうすれば、良い感じじゃないかしら。」
と。
でも、こういう人は、歌やダンスに限らず、何ごとに関してもうまくなる事はありません。
最初から、うまい人たちに混ざって練習しましょう。もちろん最初はへたですから、笑われる事もあるでしょう。でも、笑われても恥ずかしがらず、平気な顔で練習に励みましょう。
なかなかうまくならない時期もあると思いますが、そんな時でも練習を欠かさず続けましょう。
また、自己流にならないように注意しながら練習しましょう。
道のりは長いですが、がんばって練習しましょう。その道の先には、世間から名人・じょうずと認められる境地が待っています。生まれつき「向いている」と言うことが無くても、この道のりを歩めば境地に達する事ができます。
逆に言うと、カンをつかむのが上手い人でも、練習をしなければ、世間から名人・じょうずと認められる境地に達する事はできません。
今、活躍しているスターたちも、最初からじょうずにダンスができたわけではありません。かつては、へたくそと言われたこともあったでしょう。けなされた事も有ったかも知れません。でも、彼らは、下積みの頃にうまい人たちをお手本にして、自己流でない練習を続けたのです。そうして、誰もが認めるスターとして、若い人からは尊敬されるようになったのです。歌やダンスに限らず、練習が大切な事は、何をするにしても同じ事です。

感想

難しかった点
意訳が難しかったです。どうしても、自分の意見を入れようとします。(これでもずいぶんと削ったのです(^_^;))

むずかしさは、原文が、句読点までが長い文だという事です。僕が文章を書く時に気をつける二つのことがあります。

  • 主語一つに熟語一つ。で短く区切る。
  • それ、あれ、などの指示語をなるべく使わない。
と、言うわけで、意訳をする際には、長い文をぶった切って、順序を入れ替えます。
順序を入れ替えつつ、原文の内容を変更しないようにする事が難しかったです。
気が付いた点
意訳して、僕が理解した内容は、この一五〇段は「練習しろ。」と言うのが主眼である。と言う事です。
練習のしかたとして、三点を抑えておけ。と言っていると思います。
  • じょうずな人をお手本にしろ。
  • 思うように上達しなくても、サボらず練習しろ。
  • 自己流はダメ。
付け加えたかった点
最後に、途中書き足したけれど「僕の考えだ。」と思って削った内容を白状します。
原文の「天性、その骨なけれども、」と「堪能の嗜まざるよりは、」とを絡めて、
「調整力」に優れている人、いわゆる器用な人は、最初から上手だ。しかしながら……
と書きたかったです。
ま、このあたりが、原文を読みながら、自分なりの理解をして(あるいは曲げて理解して)いる事なのでしょう。
「訳です。」
と言う場合には、逸脱した内容と気が付いて、書き足してはならない。と肝に銘じたです。

おまけ

では、徒然草で僕が好きな「仁和寺の法師」のお話しから、二つほど(原文は書き写さずに)僕が好きなように訳してみます。
第五十二段「先達はあらまほしき事なり」
仁和寺所属のお坊さんのお話です。
ある日「ずいぶんと歳を取ったものだな。」と思いました。
「しかし、まだ石清水八幡宮にお参りに行った事がない。死ぬまでに一度は行ってみなければ。」
思い立ったが吉日、とお坊さんは一人歩いて石清水八幡宮を目指しました。
ちなみに、ガイドブックなどを開くと
「京都の市街地から石清水八幡宮をお参りする際は、鴨川を運行している乗り合いの船に乗って行きましょう。」
と書いてあるそうです。
「男山のふもとで船を下り、山登りして山頂の神社にお参りします。」
と。
仁和寺のお坊さんは「思い立ったが吉日」とガイドブックなどは見ず、行った事がある人を捜して行き方を聴く事もしませんでした。
「歩いて行けば、石清水八幡宮に行けるよね。」
と。
ちょうど、現代の小学生が
「陸続きなら、自転車でどこへでも行ける。」
と思っているのと同じノリで出発したわけです。
さて、仁和寺のお坊さんは、男山の麓にあった、石清水八幡宮附属の極楽寺と高良神社を参拝して、帰路に着きました。
仁和寺に帰ってきたお坊さんは、同僚に自慢しました。
「若い頃から「行きたいな。」と思い続けてきた石清水八幡宮を参拝してきたよ。
聴いていたよりも、貴く感じたよ。見ると聞くとでは大違いだね。
でも、お参りする人が、みんな山にも登るんだよね。
オレは、お参りするのが目的だったから、山登りはしなかったよ。」
気軽に行けるところでも、ガイドブックを見るとか、ガイドさんに尋ねるとかしたほうが良いよね。
ちなみに、僕の個人的な感想を言えば、こんな行き当たりばっかりの失敗をするのが好き。先達はあらま欲しくないです(笑)。
第五十三段「これも仁和寺の法師」
次のお話しも、仁和寺所属のお坊さんのお話です。
子供がお寺へ修行に上がる事になり、送別会が開かれました。
参加した人が、それぞれ余興を披露しました。
仁和寺のお坊さんは、お酒に酔って、即席の余興を思いつきました。
三本足の壺、と言うか鉢がお部屋に置いてあったのです。これは、三本足の鉢で「鼎(かなえ)」と言うそうです。ちなみに二本足なら「両」と言うかどうかは存じ上げません。四本足は、方鼎(ほうてい)と言うそうです。
閑話休題。お坊さんは、鼎を頭からかぶって、みんなが騒いでいる宴席に出て行ったのです。かぶる際に、鼻が引っかかったのですが、ぎゅうぎゅうと押し込んでかぶりました。
踊りながら酒宴に飛び込むと、みんな喜んで、おもしろがりました。
しばらく踊った後、お坊さんは鼎を脱ごうとしました。
しかし、なかなか脱げません。
お酒に酔って、余興に喜んでいた宴客も「これは、ちょっとヤバイかも。」と焦りだし、仁和寺のお坊さんの回りに集まりました。
しばらくすると、首の回りに傷ができて出血してきました。腫れも出てきました。窒息も始まったようです。
回りに集まった人がお坊さんを助けようと、鼎を割ろうとしました。しかし、どうやっても割れません。鼎を叩くたびに、轟音が鳴り響き、頭にかぶっているお坊さんは「やめてくれ」と言っているかのような、耐え難き様子でもだえています。
「この場では、もうどうする事もできない。」
と、宴客たちは考えました。お坊さんがかぶっている鼎の三本足が、お坊さんの肩や胸にあたって、さらなる怪我が増えないよう、着ていた上着を脱いで、お坊さんの肌と三本足の間に詰め、お坊さんの手を引いて病院まで連れて行きました。
京都は都会ですから、病院まで歩いていく途中で、街行く人たちの注目を集めました。
病院に入って、診察室の椅子に座らせ、医者と向かいあった様子も異様でした。
医者がお坊さんに「いかがいたしましたか。」と聴くのですが、坊さんが何を言っているのか、鼎に響いて聞き取れません。
医者は、付き添いの人に言いました。
「こんな症状は、医学書に書いてありません。」
「医学生だった時に教わったこともありません。」
そして、治療を断りました。
連れの者たちは、仕方が無く、お坊さんを仁和寺に連れて帰りました。
蒲団が敷かれ、お坊さんは寝かされます。
枕元には、往年親しくしていた人や、お坊さんのお母さんが呼ばれて集まりました。
みな、悲しくて泣いています。
そんなとき、仁和寺の別のお坊さんが言いました。
「たとえ、耳や鼻を失ったとしても、命は助かるでしょう。人は、生きている事が大切なのです。力任せで良いから、お坊さんの頭から鼎を引き抜きなさい。」
と。
なるほど、枕元の皆はうなずきました。
ただし、一応、滑り止め、じゃなくて、滑りやすいように、わらを頭と鼎の間に詰めました。
そして、枕元の皆は二手に分かれて、お坊さんと鼎を引き合いました。
首がちぎれそうだな。と心配になって来たところ、耳と鼻が引き裂けながら、ようやく鼎が抜けました。
耳と鼻の後は穴があいた状態で、しばらくは治療が必要でしたが、危ういところで、命を拾う事ができました。
このお話し、僕の記憶の中では「軽い笑い話」だったのですが、こうして訳してみると、やたらと痛くて辛いお話しでした。それでも、一番大切なものは「命」となにやら教訓めいたものがあり、さすがは兼好法師と思い直しました。

おまけのおまけ

仁和寺の法師ではなく、在宅出家のお坊さんのお話。歌が得意で、アルバイトで街の歌会に出た帰りのお話しです。
第八十九段「猫また」
「山奥に、猫またと言う怪物が出たそうだ。人を襲って食べるそうだ。」
と言う人がいました。
「山に入らなくても、ここいらへんの猫が化け猫になって、人を襲って喰うらしいぞ。」
と言う人もいました。
行願寺の近くに住むお坊さんが、そのお話を聞きました。在宅出家して、連歌の指導で生計を立てているお坊さんです。
「一人で歩く時には、注意しなくては。」
と思ったそうです。
ある時、連歌が長引き、暗くなってからの帰宅となりました。
一人で暗い夜道を歩いて行きます。
小川に沿った道を歩いている時、話に聴いた猫またがやってきました。
足元に近づき、前足でお坊さんの裾をひっかきます。やがて、首に食らいつく勢いで、後ろ足で立ち上がりました。
お坊さんは、肝をつぶし、パニックに襲われました。どうにか猫またに食いつかれまい、と逃げようと思うのですが、身体から力が抜けて、思うように動けません。腰も抜かして、土手を転がり落ち、小川にはまりました。
「助けて。猫まただよ。猫まただよ。」
と声を上げる事はできました。
付近の家から、松明を掲げて町人が走って来ました。
助け上げてみると、近所のお坊さんです。
「どうしましたか。」
と、小川から助け起こしました。
お坊さんは、連歌でもらった賞品の扇や小包を懐に入れていましたが、小川に浸かって水浸しです。
それでも、危ういところを助けられて、這々の体で帰宅しました。
お坊さんのおうちは目と鼻の先でした。
お坊さんが帰ってきたのを察知した飼い犬が、喜んでお坊さんにじゃれついたのでした。それを「猫また」と勘違いしたお坊さんの喜劇です。
ちなみに、猫または、藤原定家の「明月記」にも記されている伝説の動物だそうです。山猫と言ったところでしょうか。恐怖は人に冷静な判断を奪うようです。僕も気をつけましょう。