daniel-yangのブログ

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どんな名前だって、子供は親に文句を言うもの。

キラキラネーム1位は「皇帝(しいざあ)」 難読な「読みがな」法律で禁止できるか? - 弁護士ドットコム

どんな名前だって、子供は親に文句を言うものです。

2015/12/20 15:23

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沖縄県。知念城跡付近から眺めた珊瑚礁。本文とは関係ありません。

僕の読めない名前

僕の名前「だにえる」はハンドル・ネームです\(^O^)/
戸籍上の本名は、一見普通の日本人の名前です。
ですが、誰にも読まれません。
「太郎」と書いて「じろう」です。と言うほどではありませんが、
「普通に読むとこうだろう。」
と言う読みが別にあります。なので、戸籍上の読みで読まれません。
(ところで、戸籍には、読みが書いてないよね? もしかして、読みって、後で勝手に変えても良いのでは?と、時々思うのだけれど、どうなのでしょうか。)
そういうわけで、僕は
「名前は読める方が良い。」
と思います。

僕の名は「おだのぶかつ(仮)」

伏せ字だと話しづらいので、仮に僕の名前を
とします。
織田信長の次男ね。
「信雄」
と書いて、
[のぶかつ]
と読みます。
歴史小説(戦国時代)が趣味の人は
「もしや、君の名は[のぶかつ]か?」
と読んでくれることもあります。が、あらかた平然と
「のぶおくん」
と、呼ばれます。

間違えられても、文句を言ってはイケマセン

僕が小学生だった時のお話です。
夏休み。プールの日。
集団登校をする近所の児童と一緒に学校に行きます。
普段は、全員そろうと、六年生の班長を先頭に、自動的に出発します。
夏休みのプールの日は、近所のおばさんが出席をとりました。
集合した子供の名を呼びます。
兄弟がいる子供も多いので、フルネームで呼ばれます。
「おだのぶおくん!」
おばさんは、案の定、僕の名前を間違えて呼びました。
「そんな名前の子供はいません。」
僕は答えました。
「おだのぶおくんは、欠席。」
と、スルーされ、僕には、訂正する機会が与えられませんでした。
欠席扱いのまま、学校のプールで泳ぎ、帰宅しました。
家に帰ってスイカを食べていると、母親に諭されました。
「あなたは[のぶお]と呼ばれても、ハイと返事しなさい。」
と。
理不尽だ。
と子供心に思いました。

名前は読める方が良いな。と思う

そういうわけで、子供の頃から
「名前は読める方が良い。」
と思っていました。
一応、父親に文句を言ったことがありました。
「俺の名前は、誰にも読まれないじゃないか。困るぞ。」
と。
父親曰く
「たしかに、信雄と書けば「のぶお」と読む人が多いだろう。でも、[おだのぶお]じゃ、音が少なくて、調子が良くないじゃないか。[おだのぶかつ]だと、座りが良いだろ。二音の名字だから気を遣ったんだよ。
会社の同僚で、おまえの名前を教えてあげたら「良い名前ですね。」と自分の子供につけた人もいるよ。」
と。
父親の同僚は、確かに息子に「信雄」と名付けたようです。
でも、彼の場合は[のぶお」と読みました(笑)。そのことを、父親は僕に知らせませんでした(^_^)
このときは、それ以上文句を言いませんでした。
一応、ふざけて命名したわけではないことがわかりました。
また、困らせてやろう。と思った命名ではなく、まじめに「良い名を」と考えた結果だと一応理解しました。

読まれてうれしい

中学校に進学した最初の日。
最初の出席をとる担任の先生。
僕は、呼ばれたら、即訂正する心構えで自分が呼ばれる順番を待っていました。
「織田」は比較的すぐ呼ばれます。
「おだ、のぶかつ」
さすがに中学は呼び捨てだな。と思いつつ、
「え? 戸籍上の読み方で呼ばれた?」
と、狐につままれたような心持ちのうちに
「ハイ。」
と答えました。
休み時間、担任の先生に尋ねました
「僕の名前を初めて読んで、正解したのは先生が初めてです。調べてくれたのですか?」
「そうよ。小学校の先生に聞いてきたのよ。」
「ありがたいことです。」
と、先生にお礼を言いました。

平凡な名前でも文句がある

さて、長じて高校に進学しました。
自己紹介にて。
織田信雄です。[のぶお]と書いて[のぶかつ]と読みます。」
と、つかみも兼ねて、ネタを提供しました。
早速、席に戻ると、後ろの席の男が食らいついてくれました。
「おまえは、読まれづらい珍しい名前に文句があるようだけれど、ありきたりな名前も迷惑なもんだよ。」
と。
「俺の名前は[やまださとし]。「山田聡」と書く。時々[さとる]と呼ばれることもあるが、まれだ。それよりも「聡」を「恥」と書く馬鹿が時々いるのにうんざりする。が、しかしだ。「山田」も「聡」もありきたりすぎるのが大問題だ。」
と。
僕は
「いや、いや、いや。読める名前であると言うことは「読まれない」と言うよりはよっぽど良いぞ。」
「そりゃ、そうだけれど、親戚にも二人「山田聡」がいるんだぞ。このクラスにも「聡」が俺を含めて三人もいるじゃないか。そのうち一人は[さとる]だ。どうする?名前はな、ありきたりすぎるというのも面倒なものなのさ。」
と。
なるほど。と僕は思いました。
人と区別するのが名前なのだから、ありきたりではいけない。
突飛なのも困るが、ありきたりのも困る。
「最適解」
が無い。
それが「名前」なのだと。
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秋田県。秋扇湖。本文とは関係ありません。

自分の名前にこだわりがなくなる

自己紹介での”つかみ”は成功しました。
翌日。学級委員の係決め。
僕は「保健係」立候補しました。
黒板に自分の名前を書きます。
中学校の時のスポーツ刈りが中途半端に伸びていた僕。
黒板に向かって歩いているときに誰かに声をかけられました。
「おまえ、車だん吉に似てるな。」
と。
ならば、
と、黒板に「だん吉」と書きました。
「じゃぁ、おまえ『だんちゃん』だな」
と、言うわけで、高校在学中は「だん」と呼ばれていました。
現ハンドル・ネームの「Daniel」は、英語で「Dan」と呼ばれる愛称から逆に調べて決めた名前です。
「Daniel」は、Danyと呼ばれることが多いですが、Danと呼ばれることもあるようです。
ハリーポッター役のダニエル・ラドクリフは、ハーマイオニー役のエマ・ワトソンに「ダン」と呼ばれていました。
 
高校を卒業した後、バンド仲間には「まりりん」と呼ばれていました。
高校卒業時点で「まりりん」と言うバンドでキーボードを弾いていた僕は、キーボードのケースに大きく「まりりん」と書いていました。
大学入学後、しばらくそのバンドで活動した後、他大学の軽音楽サークルに参加しました。
参加したのは、新歓の時期ではありません。飛び込みでいきなり合宿に参加しました。
行きのバスの中。
僕のキーボードケースを読んだドラムの人が
「おまえ、まりりんっていうのか。」
と声をかけてきました。
「うん。俺、まりりん。」
と冗談で返しました。
そして、卒業までバンド仲間には「まりりん」と呼ばれることになりました。
小学生の頃から、正しく名前を呼ばれないことに慣れていたので、成人間際には「好きなように呼んでちょうだい。」といふ姿勢になったわけです。
「まりりん」だろうが、「じょん」だろうが、どう呼ばれようと返事をするのですが、
町中で遠くから「おぉぃっ!まりりんっ!」と呼ばれて振り返るのは、少々こっぱずかしかったです(^0^;)

まとめ1:子供として

キラキラ・ネームであっても、読めない名前であっても、ありきたりの名前であっても、
子供と言うのは自分の名前について、親に文句を言うものだ。
と、思います。
しかしながら、親に文句を言うのは、子供の時だけにしましょう。
と今は思います。
どんな名前であっても、それぞれに個性的なものです。
名前以外にも、容姿や、金銭的な自由度の割合、教育への熱心さなど、親による差異は多々あります。
子供の頃には、不平を言うのは仕方が無いかもしれません。でも、大人になってからも、引き続き親への不満を口にしながら自分の不幸の理由にしているのはよくありません。
道徳的に良くないという意味ではありません。自分が自分の人生を歩むのを妨げるから、自分にとって良くない。と、僕は考えます。
親がどうあれ、自分の人生は自分のものです。二十歳を過ぎたら、名前、容姿、家庭環境も含めて自分の個性だと考えようじゃありませんか。
そして、自分の、自分らしい人生を生きましょう。

あるいは、周囲の人には名前をネタにからかう人がいるかもしれません。
でも、おそらくからかわれるのは、自分の名前を恥ずかしく思っていると気がつかれているからです。自分が(無理にでも)自分の名前に誇りを持っているように振る舞えば、名前をネタにからかう人はいないでしょう。
また、からかわれたとしても、問題は僕の名前ではありません。
からかう人が問題です。

まとめ2:周囲の人として

振り返って、周囲に自分の名前を気にしている人がいたとして、僕は、それをネタにからかうような人にはなるまい。と思います。

まとめ3:親として

いくら頑張って、考えて、素敵な名前を子供につけたとしても、子供は、一度はその名前に文句を言うものです。
そんなときは
「ごめんね」
と謝るのでは無く、
「ありがたく思え」
と説教するのでもなく、
「素敵な名前だと思うけれどな。」
と、子供の名前を肯定してあげるのが良いと思います。
必要ならば、その素敵な名前を考え出した時のエピソードを披露してあげても良いでしょう。
たとえ、旦那が勝手につけた名前でも、
奥さんが独断で決めた名前でも、
仲人に義理立てした不本意な銘々であっても、
「素敵な名前だと思うよ。」
と肯定してあげるのが良いと思います。
 
 
そういえば、1979年のユニセフ『国際児童年』協賛歌としてゴダイゴが歌った「ビューティフル・ネーム」では、
「一人に一つずつ、素晴らしい名前」
と歌われていたように記憶しています。
命名の内容を問うのではなく、
それぞれの名前がビューティフル・ネームである。
と歌われていました。
たぶん、名前の本質ってそういうことですよね。
どんな名前であっても、
一人に一つずつ。
それは、きっと素晴らしい名前なのです。
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