daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

失敗納め。

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温泉に浸かる猿が有名な長野県の地獄谷温泉。
来年の干支ですな。

 昨日、読みかけの本について書きました。

227pまで読んだ時点で、記しました。
「『毒親』は、親に限らなければ、案外ポピュラーに見かけられるタイプの人間ですよ。」
と。
 
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本日、毎日のように仕事帰りに寄るスーパーのフードコート内で、夕飯(ケンタのオリジナルチキン)を食べながら続きを読んでびっくりしました。
p228~
素肌にそよぐ風、への回答
>> 長谷川達哉です。
と、続きます。
この小説は、主人公の女性が、すでに他界した謎の毒親の謎を、学生時代に通った本屋さん「文容堂」に相談する手紙、メールのやりとりで構成されています。
p228からは、書店員の一人「長谷川達哉」が答えています。
その、長谷川さんの回答が、昨日僕が待ちきれずに記した
「親ではない場合の毒親タイプの人の存在」
について、例を挙げての内容でした。
 
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本を読んでの失敗の一つに
「途中まで読んで、自分で結論を出してしまう。」
と言うのがあります。
むろん、読書の途中で自分なりの結論に達しても、読書は続行するわけで、
その結論が「思い込み」や「勘違い」であっても、
「あ、違った。」
と一人で、思い直せば問題はありません。
 
問題は、読書半ばでの勘違いを、ブログにして全世界(※)に喧伝する場合です。
(※)全世界というと大げさですが、「日本国中に」と言い換えても大げさです。当ブログのアクセス数を勘案すると。多くても滅多に100hits/dayには達しません。
 
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と、言うような失敗は、今まで数多くしてきました。
そこで、当ブログの本編であるところの読書日記
では、
「必ず一冊を読み終えてから記すべし。」
をルールにしています。
が、今回のように
「読書半ばだけれど、どうしても言いたいことが出てきたよ。」
と言う場合には、当ブログ「Daniel Yangのブログ」に記します。
そして、失敗するのですな。冷や汗。
 
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この章(「謎の毒親」p228~素肌にそよぐ風、への回答)
では、p227まで読んで僕が我慢できずに「これだけは言いたい」という内容を、小説の登場人物の一人「長谷川達哉」が、上手に文章にしています。
むろん、長谷川達哉の上手な表現は、小説の一部で、著者が記しているわけですが。
 
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この小説を読んでいると、親しい友人と話しているような錯覚を覚えます。
 
平素、実物の人間相手に会話をしていると、話を遮られて諭されることがあります。
「それは、君の勘違いなんじゃないかい。」
とか、
「言い過ぎだよ。」
とか。
でも、僕は、僕が感じたことや、考えたことを述べているわけであって、
それは、話し相手の判断で「間違っている。」とはいえないと思うんだよね。
 
会社で受講させられたメンタルヘルスケアでは、鬱病が疑われる人と会話しているときに、同意できないことを言われたら、否定をせずに、
「そうか、君はそう考えるんだね。」
と答えましょう。と習いました。
でも、別に鬱病ではない僕だって、同意しろとは言わないけれど、せめて否定はしてほしくない訳なのですよ。
 
他の姫野カオルコ作品にも共通することなのですが、一見突飛な意見を記されていることがあります。
それは、僕が普段の会話で遮られ、語ることが許されない内容に類似しているようにも思えます。
「あぁ、この人も、僕と同じように普段から残念な思いをすることも多いのだろうな。」
と。妙な共感を得ることが多いです。
 
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ところで、僕の読書日記「受動態」には、もう一つルールがあります。
「自分の感想を公する以前に、他の人の感想を読むな。」
です。
これには、二つ理由があります。
一つは、他の人の感想文を読むと、その内容に影響を受けてしまうから。
と言うもの。
もう一つは、似たような感想を書くことを憚って、自分の思った通りのことを書きづらくなるから。
です。
 
本書「謎の毒親」の場合は(僕は、発売からずいぶん時間を経た後に購入したので)amazonに掲載されている他の人の感想をずいぶんと読んじゃったんですよ。
それでも、今までの例ですと
「それは、おまえの誤読だ。」
「いや、違う、この小説の価値はもっと違うところにある。」
など、他の人の感想を超えてやろう。と思える感想が、多かったのですが、
この小説は、とても評判が良いようで、僕が新たに価値を解説する余地が無いように思える、素晴らしい感想ばっかりなんです。
(この小説は、アマゾンでの評判がとても良いようです。)
ファンとしては、うれしい限りですが、
そんな感想を先に読んだので、妙にのんびりして、
旧知の友人の話を落ち着いて聞くように、ゆっくり本書を読んでいます。
(同じくamazonの読者感想文によると、感動の読後感が待っているらしいし。)
 
と、言うわけで、昨日、自分の読了を待ちきれずに記した、つたない文章は、実は小説の中で、登場人物が記して、物語が進んでいく内容であり、
僕の、今年(2015年)の失敗納めとなりました。
 
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明日も、まだ休みではなく、いったいぜんたい今年中に読み終わるのかどうか、自信がありませんが、別に、早く読み終わらなくても(僕が急いで宣伝しなくても)本書は、順調に読まれているようですので、この際、ゆっくりと読むことにします。
 
 
今年も残すところ三日。
皆様、お風邪など召されること無く、愉快なお正月をお迎えください。
来年も愉快な一年となりますように。なむなむなむ。