daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

徳冨蘆花「自然と人生」を読んでいます。

熊本の震災の報に接し、熊本県出身の作家作品を読もうと思い、手に取りました。
自然と人生 (岩波文庫)

自然と人生 (岩波文庫)

 
この作品から第5回熊本県民文化祭の依頼で作曲された合唱曲があります。
柴田南雄(1916 ~ 1996)が、依頼により作曲した合唱曲です。
初演は1992年11月8日、水俣市文化会館にて、田中信昭指揮、佐藤信演出、「第5回県民文化祭『音楽の集い』合唱団」により行われました。(上記楽譜の柴田南雄による解説「合唱曲「みなまた」について」から抜粋。)
僕は1995年9月に浜離宮朝日ホールで聴きました。同じく田中信昭が指揮する新しい合唱団の第4回演奏会です。
記憶違いで無ければ、この演奏会に柴田南雄が来ていました。
演奏終了後、アンコールの拍手に応じて再び舞台に姿を現した田中信昭が客席の後ろを指さし、柴田南雄を紹介していたように記憶しています。
水俣は公害で知られる地ですが、本来は美しい海の風景が愛されているところ。」
と、この曲の説明を聴きました。
説明の通り、曲は情景的でした。よく晴れた日に、海岸から少し上った丘から、島がならぶ青い海を見ているような錯覚を覚えました。
詩自体が、不知火が燃え、天草諸島が浮かぶ海を描写しているのですが、
楽曲も、あたかも頬に風と日差しを受けたような、澄んだ暖かさを知覚させる不思議な効果があったように思います。
この合唱曲は三部構成で、それぞれ下記のように構成されています。
(I. 海)柴田純子により構成された徳冨蘆花(春の海)、本居宣長古事記伝,「火の国」)の詩
(II. 浜の唄)NHK資料部所蔵部に遺るNHK水俣市浜で収録した地元の方が歌う民謡の録音を構成したもの
(III. 淵上毛銭の四つの詩)a. 散策、b. 無門、c. 河童、d. 約束
 
徳冨蘆花の詩は、
「自然と人生」
第三部「寫生帖」(←たぶん写生帳のこと;daniel yang注)
一〇、夏の輿(←たぶん、[なつのこし]と読む;daniel yang注)
(四)冒頭「(前に云える)姉の家は、~」から
および、
第四部「湘南雑筆」の
一三、春の海の
前半を採用しています。
 
今、僕は「自然と人生」を読みかけなのですが、
第一部の小説「灰燼」で、漢文調に慣れ
第二部「自然に對する五分時」(二十九篇の写生文)
第三部「寫生帖」(十一篇のエッセイ)
第四部「湘南雑筆」(四十七篇の写生文)
第五部「風景畫家‥コロオ」ジャン=パティスト・アミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot、仏1796~1875)の作品と、画家本人への思いを綴る
と、読み進める形で一冊の書物と為っています。
 
僕が読んでいる岩波文庫は、一九〇〇年に出版されたものを忠実に再現したものです。
特に第二部から第四部の写生文学は、常日頃「人間が出てこない文学作品を読んでみたい。」と思っていたので、期せずして思い通りの作品に接しうれしく思います。
 
そういえば、僕も湘南の海(たしか、江ノ島の向かいの「片瀬海岸」)でひとしきり泳いだ後、海で沈む夕日を眺めながら
「今日は、地平線に雲が多いから、ちょうど日が沈むのは見えないかもな。」
と思っていたら、雲に掛かるより前に、日が沈み始めてびっくりした事を思い出しました。
かすんで見えなかった富士山に日が沈んでいたのですが、
その時に「富士山って本当に大きいのだなぁ。」
と感慨を覚えました。
 
と、言うような記憶を上手に文章に出来ると、僕も徳冨蘆花になれるのでしょうが。
 
願わくば故郷の風景をかくも美しく語りたいものよ。