daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

リップヴァンウィンクルの花嫁(岩俊二監督作品の劇場公開映画)を観ました。8

の続き。

5. 映画に込められた魂

そろそろ直木賞候補作が発表されます。今日は、発表前に駆け込みで、本作を文学的側面から語りたいと思います。しばし、おつきあいくださりませ。
ちなみに、

prizesworld.com

大衆選考会に本書の推薦文を書きました。
によると、
上半期……前年12月1日~5月31日までに公表されたもの。雑誌、同人雑誌は11月1日~5月31日まで
と言うことです。
二〇一五年一二月五日第一刷発行の原作小説
リップヴァンウィンクルの花嫁

リップヴァンウィンクルの花嫁

 
は、今月末発表予定の第155回(平成28年/2016年上半期)直木賞候補に挙げられる可能性があります。
発行元も文藝春秋だし、候補を選ぶ人たちの目にも留まっているはず。
ちなみに、申し上げておきますと、前回のエントリーで直木賞の設立者である菊池寛通りを通って映画館に行ったのは、直木賞におもねっているわけではなく、単なる偶然です。
元はといえば、僕がこの小説を手にしたのは、中森明夫のツィート

が切っ掛けでした。
この映画は、映画として、役者の演技とか、凝った音声や映像とか、岩井美学と称されるに相応しい素晴らしい作品なのですが、それに輪を掛けて文学的な側面でも、特異な価値があると思います。
僕が、感じた「リップヴァンウィンクルの花嫁」の文学的側面とは何か。
同じく岩井俊二監督が作詞した作品
花は咲く

花は咲く

 
に通じるものがある、と感じました。
ちなみに「花は咲く」のCDは、
¥1,028のmaxi Singleと、
¥1,543の初回限定DVD付き
があります。
約500円差なので、購入可能なら、DVD付きがオススメです。
「花は咲く」の歌詞は、震災で亡くなった方の目線で書かれています。
叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた。
と聴くと「そうだよね。」と亡くなった方の無念を思います。
でも、少し経つと
「生きている僕は、夢をかなえることができるよね。」
「変わろうと思えば、変わることができるよね。」
と自分が生きている事に思い至りました。
のんべんだらりと過ごしていている間に、だいぶ年をとったな。と、近年漠然とした不安を感じていたのですが、この歌を聴いて
「生きている自分は、夢をかなえるように行動を起こすことができる。」
「変わろうと思えば変わることができる。」
と、気持ちが前向きになり、不安が払拭されました。

 

主人公の皆川七海は、最終的には、生き延びて新しいスタートラインに立ちます。
映画を見終わった直後に七海に語りかけたい気持ちがうまれました。
「ハッピーエンドでよかったね。」
と。
鑑賞して、一週間くらい映画を咀嚼しているうちに、考えが変わってきました。
それは、災難にあたって七海がとった態度です。
amazonのレビューには、
皆川七海は、だれも恨みませんし、呪いもしません。逆に、親切な人に恵まれ、運も良かった、と感じているはずです。
と記しましたが、実際は別れた夫とその母親に憾み心を抱いています。(プロの書評家じゃないから、こんなレビューで許されるのだ、と胸をなで下ろしました。そして、こんなレビューに「参考になりました」をポチってくれるカスタマーの皆さんも優しい人なのだなと思います。)
ただし、復讐しようとは考えていないようです。
真白については、自分を必要としてくれて、また自分を励ましてくれた、と感謝しているようですし、
安室については、親切にしてくれた人、と認識しているようです。
親についても、自分の嘘につきあってくれて、選んだ相手は最悪だったのに「きっとうまくゆぐよ。」と(東北弁で)結婚を応援してくれた、とありがたく感じていると思います。
 
映画を見ていた時には七海の選択を当たり前のように感じながら終劇まで見守った僕でしたが、その後ぐるぐる考えていると、ふと別の選択肢もある、と気がつきました。
例えば、鉄也とカヤ子の親子に復讐を誓って(法的or非合法な方法で)ぎゃふんと言わせることに邁進する事もできるし、
真白をとんでもない人と、世に問うて自分の被害に同情を集めるよう世界に配信することもできるかも知れません。
安室に対抗できるような、強力な便利屋を探しだして雇い、罠にはめ、支払わされた便利屋利用料金を倍返しで奪い返すような復讐劇を描くことも可能です。
親については「両親さえ離婚していなければ、」「私がひどい目に遭ったのだから、怒鳴り込みに行って欲しい。」など、架空の「愛されている娘」と、自分の差に着目して不幸な自分を嘆くこともできます。
 
しかしながら七海は、反撃せず、復讐もせず、嘆き悲しむこともせず、恨んで呪うこともしません。
別れた鉄也とカヤ子とは無関係になり、真白と安室には感謝し、親にも頼りません。
 
本人は、選択をした意識はないと思うけれども、実際には七海はこのような選択をして、映画のエンディングを迎えるわけです。
 
ここまで、考えると、普段仕事やプライベートで自分が鬱々と思い巡らす不平や不満(具体的に書かないけれど(^_^;)が、実は拘泥しない方が良いケースが多いのではないか。と考え直す切っ掛けになりました。
むろん、たかったり、かすめ取ったりするような人とは、なるべく距離を置くべきだし、嘘やごまかしを目の当たりにしたら、是正を促すことも必要だとは思うのですが、休日に一人になった時間にまで、思い出しては悪い人の悪いところを列挙していくことは意味が無い、と言うよりもむしろ、自分にっとってマイナスな生き方をしている、と気がつきました。
七海を見倣って、恨まず、呪わず、周囲の親切に感謝しながら「自分はついている。」案外ラッキーだ。と前向きに生きることで、遅きに失してもよりよい人生を送ろう。
と思いました。
 

6. クライマックス

断続的にリップヴァンウィンクルの花嫁について書いてきましたが、今回でひとまず終わりにします。
最後に、書き残したことをいくつか。
クライマックスのズームイン
二回目に見て気がついたクライマックスのシーンは、Coccoの台詞が始まるとズームインし、台詞が終わる頃にズームアウトしていくだけのカメラワークでした。
安室の正体
読者に安室が黒幕だと確信できるタイミングは、映画の方がオリジナルで、小説の方が(小説として相応しいと考えて)謎を最後に解き明かせるように工夫したのではないか、と思いました。
「ぼくたちの失敗」を歌う七海
「ぼくたちの失敗」を歌う七海が、小説を読んだ時の印象と大きく違ったのは、映画で黒木華が演じる七海が、とても楽しそうに歌っていたからだ、と気がつきました。
つまり、僕には「ぼくたちの失敗」を歌う人は、絶望に酔いしれる人だ、と固定観念があり、小説を読んだ時には、悲壮感を漂わせて歌う七海を想定していたワケで、このギャップが映画を見た時の驚きになったのでした。
教師としての七海
生徒になめられ、契約を延長されず打ち切られる七海ですが、個人授業の岡本カノンには信頼され、結婚を機に辞めたいと伝えたところ、続けるよう懇願されます。
岡本カノンにとっては他に代わりがいない大切な先生だったわけです。
七海は教師としての資質を充分に備えていると思われます。
ではなぜ学校では契約打ち切りになるのか。教師としての資質ではなく「声を大きく」とか「生徒になめられない」とか、些末のテクニックの問題だったように思います。
そう考えると、七海の最初の学校での失敗は、職場に良い先輩がいなかったことが原因ではないか、と思います。
ドビュッシーが流れてこない
これだけクラシック曲が多用されているのにドビュッシーが使われないのは、リリイ・シュシュのすべてに遠慮したんでしょうね。

 

他に書き残したことは無いかな?
と考えると、鉄也と七海の結婚について、いろいろ言いたいことがある、と思い残していることに気がつくのですが、彼らの結婚について拘泥することは、この映画に感動した自分のするべきことではない、と考え直して、ここで筆を折ることにします。
今後も岩井俊二監督が日本で映画を沢山撮ってくださりますようお祈りしながら今晩は楽しい夢を見ようと思います。
お休みなさい。