daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

テニスボールが米軍キャンプの中に入ってしまったときのお話。

同窓会に行ってきました。
と、言うわけで、我が中学校ネタに、隣接する米軍基地の写真でも撮っておこうと思ったのですが、
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隠し撮りするわけではないので、堂々と一眼レフを首から提げて歩いていきました。
ゲートに近寄ると、武装した(ウソ)守衛(日本人)
「写真は撮らないで下さいね。」
と言われちゃいました。
(後述するように、門番は決して忙しくないので、「どうして?」と聴いて「ここに書いているとおり」と言うようなやりとりをしましたが、今日は割愛して)
遠巻きに撮ったこの一枚しかネタにできませんでした。
(一応、言われたからには、ゲート部分にはぼかしを入れておきましたよ。)
 
ちなみに、ネタとは、
当時テニス部だった僕が、テニスボールを隣接する米軍基地に入れてしまったときのお話です。
 
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当時の中学校のグランドのフェンスは、せいぜい人の高さ程度でした。
撮ってきた写真の左がテニスコート(当時は市内最大の四面所有)です。今は高いフェンスが立ってますが、当時は人の背の高さ程度でした。
ですので、サッカー部やテニス部は、頻繁にボールをあらぬ方向に蹴ったり、打ったりして、フェンス越えさせていました。
フェンスを越えたボールのうち、いくつかは隣接する米軍基地に入ってしまいます。
 
ちなみに、このエントリーを読んで下さっている皆様は、テニスボールを米軍基地に入れた場合、どうなると思いますか?
 
当時中学生だった僕らも、どうなるのか知らなかったんです。
「あーあ、米軍の中に入っちゃったから、一個減っちゃったよ。」
と、最初から諦めていた人がいました。
その一方、
「フェンス乗り越えて入れば取れるんじゃない?」
楽天的な選手もいました。
「さすがに、米軍のフェンスを乗り越えるワケにはイカンだろう。有刺鉄線もあるし、指を有刺鉄線に差して『痛え』なんて言っているうちに撃ち殺されるぞ。」
と、悲観的な人も居ました。
中には正攻法のやつがいました。
「そこに、入り口があって、門番がいるんだから、門番のおじちゃんにボールを拾ってもらえば良いのでは?」
「え?でも俺、英語しゃべれないし。」
と、言うやつが、スクールバスに乗り遅れて、米軍住宅から一人で歩いてキャンプ内の学校に行く小学生に向かって「でぃす・いず・ざ・ぺん!」としきりに話しかけていたのを僕は知っている。そして予想外に「ばかの一つ覚え!」と日本語で言い返されていた。みんなで腹を抱えて笑った。
(ちなみに当時の悠長な世界情勢ではそうでしたが、今は米軍士官の子供がスクールバス以外でキャンプの外を歩いていることはないそうです。)
すると、英語が得意なヤツが
「それぐらいは、通じるだろう。」
と武者修行のつもりで(中学校のグランドの)フェンスをひらりと乗り越えて、第七ゲートの門番の所に歩いて行きました。
 
「どうなるのだろう?」
心配するのならば、一緒に行けばよさそうなものです。しかしながら、皆遠くから(射撃が始まったら、すたこらさっさと逃げられるように)遠巻きに様子をうかがっていました。
 
すると、どうしたことか、守衛と話していた彼が、米軍キャンプの中に入って、走り始めました。
「あ、後ろから撃たれる。」
と心配マックスになったのもつかの間。
ボールを拾うと、再びゲートに戻り、帽子を取って守衛に「ありがとうございました。」と挨拶をして、グランドに戻ってきました。
 
「おい、あやうく後ろから撃たれるところだったじゃないか。」
とでまかせの心配で声を掛けたのがぼくらの第一声。
ボールを拾って戻った彼曰く、
「門番のおじちゃんは、日本人だった。だから日本語で話が通じた。
『ボールを拾って欲しいのですが』
と正直にお願いしてみたところ、
『自分で拾ってこい』
と言われたので、中に入ってボールを取ってきた。」
と言うことでした。
実際の所、このゲートは(パラボラアンテナを隠す人工の)盛り土(推測)の外側です。米兵には、休日のゴルフ場として利用されています。(だから、当時は逆に、ときどきゴルフボールが中学校の敷地に落ちていて、NHKのニュースでも取り上げられた。三年の先輩たちが、拾ったゴルフボールを両手に広げているところがニュースに流れていた
体操着を着た、明らかに隣の中学生であるところの我々が、
盛り土の外側でボールを拾うことぐらい、
大目に見ても良い。と当時の守衛が判断したのであろう、
と今になって思います。
それに、たぶん門番って暇なんだよ。平素から忙しかったら、有事に対応できないじゃん?ていうか、ほとんど人の出入りがない、狭いゲートの門番に平時も有事も期待されていないだろうと思う。で、隣の中学の体操着を着た子供が話しかけても邪険には扱わないわけだ。(さすがに、中学校の体操着を着たスパイが米軍に忍び込むのに「ボール拾って下さい。」とは言いに来ないよね。いや、もしかしたら凄腕のスパイは、中学生になりすまして、コスプレショップで買った体操着を着て米軍に忍び込むかも知れないけれどさ。)
 
で、次にボールを米軍キャンプの中に入れてしまったときは、
僕が行きました(^O^)v
門番のおじさんに
「ボール取ってきて良いですか?」
「いいよ。」
と返事をもらって
すたこら、走ってボールを取ってきましたよ。
「俺、アメリカに行ってきたぞ!」
と自慢げにボールを放り投げながらみんなに報告しました。
 
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と、言うわけで同窓会のお話はまた今度にします。
「外国人」と聴いて、どんな人を思い浮かべるか、は人それぞれだと思います。
a) 観光客が多い地域の人にとっては、観光客が「外国人」でしょう。
b) 大都会の商業地でしたら「外国人」=「ビジネスマン」なのかもしれません。
c) テレビの収録スタジオが近くにあれば「外国人」=「芸能人」かもしれません。
d) 逆によその人が滅多に来ないとこでは「外国人」=「テレビの中の人」かもしれません。
 
僕たちにとって「外国人」は、アメリカ軍の軍人さんか、その家族でした。
 
今回の同窓会では「車に乗せられそうになったことがあった」と言う女子がいましたし、
「だから、Yナンバーの車には気をつけていた」
と言う女子もいました。
当時母親が「交通事故があったけれど、どうやらひき逃げ犯は米軍の人でもう捕まえられないみたいよ。」と言うような話をしていたのも覚えています。
神奈川県は沖縄県に次いで米軍基地が多いところ。
特に僕の出身地である相模原市は、戦中に陸軍中野学校が移転してきて「軍都」の様相を呈していたそうだし、戦後は、陸軍の施設がほとんどそのまま米軍に接収されて使われていたのが相模原市
メインストリートの国道十六号線の側道は滑走路として利用できるような施設のためらしい(実際に小型機が一度飛び立ったらしい)し、戦車がキャタピラでそのまま走れるそうですベトナム戦争の時は相模原駅前の補給廠から直接戦車が出てきて走っていたこともあった、と風の便りに聞いた覚えがある)
特に、僕が二十二歳まで過ごした相武台は
練兵所に行幸した天皇が視察した練兵所のある地域を命名した地名だそうです。
相模の国の、軍人さんが訓練する台地。と言う意味なのだろうね。(だから、座間市相模原市の双方に「相武台」があり、ややこしい。それぞれ一丁目から三丁目まである。
座間側は4丁目まである
相模台も相模原市座間市にあったけれど、座間側は相模が丘に改名して今に至る。)
 
 
と言うようなことは、今まで育った環境でしたので当たり前の世の中の出来事として認識していましたが、最近遠くに引っ越してきて、「どうやら違うぞ」と思い始めたので、えんとりーにしてみました。
 
それでは、皆様梅雨も愉快に過ごしましょう。