を読みました。
切っ掛けはカツオ人間のツィート。
カツオ人間が副編集長やりゆう「高知家の○○」で取り上げた辻村美月さんが本屋大賞とったがよ。パチパチパチ。
— カツオ人間 (@katsuo__2011) 2018年4月15日
高知家の○○⇒https://t.co/2uXBkcCk7t
高知市帯屋町の書店にはカツオ人間おススメ本のコーナーもあるき、最近本読みやぁせんカツオギャルズ&メンズは散歩がてら行ってきいや。 pic.twitter.com/Z79CY2O76l
紹介している記事はこれ↓
遮二無二購入し、読みました。
佐田で柴づけ漁の体験観光ができるらしいので、佐田沈下橋付近の写真を撮ってきたのですが(気軽に行ったが、我が家からは120kmの距離(往復で240km以上走った)でしたが)
戻ってきてよく考えると、佐田沈下橋は、沈下橋マニア垂涎の最大にして、四万十川最下流の沈下橋ですが、この観光用駐車場のある道は大型観光バスは入れない細い道を通る必要があり(レンタル自転車で観光しているグループが沢山いました。)
また付近に団体さんを受け入れるような食堂もありませんでした。
なので、聖地巡りと言うわけには参りませんでした。先達はあらまほしきものなり。いや、あらかじめ調べていけば良かった。
さて、この小説は、
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家島では、同じく都会から引っ越してきた中学生のお姉さんと島を巡り、
別府では湯治に来ていたお祖父さんに温泉蒸しをごちそうになり、お母さんは砂湯の砂かけとして働きます。
仙台市では写真館を手伝います。
大都市圏の会社勤めの家に育ち、学校卒業後そのままサラリーマンとして過ごすと、地方の生活というモノが実感として解りません。
例えば自分が会社を辞めて地方で働くとしたらどうなるのか? 特技も無く、手に職も無く、今の月給を維持するにはしがみついても社畜であらねば。と思いがちです。(僕は五年前に高知県に転勤してくるまでは、そんなふうに思っていました。)
この小説を読むと、別に会社を辞めても、それなりに一生を送ることができる、
と言うか、親のように学校を出たが最後同じ会社にしがみつく生き方と言うのは、選択肢の一つでしか無い。と理解出来ました。
と言うか、親のように学校を出たが最後同じ会社にしがみつく生き方と言うのは、選択肢の一つでしか無い。と理解出来ました。
小説自体はノワールの側面があります。それで親子が逃げているわけです。
でも、辻村深月が描く小説は、ハードボイルドではありません。
対極にある家族を大切にする親子を描きます。
行く先々で人情に触れ、助けられ、ハッピーエンド(と言うほどでもないですが)を迎える物語になっています。
でも、辻村深月が描く小説は、ハードボイルドではありません。
対極にある家族を大切にする親子を描きます。
行く先々で人情に触れ、助けられ、ハッピーエンド(と言うほどでもないですが)を迎える物語になっています。
青空はどこまでもつながっている。例えば曇り空でも、雲の上には青空が広がっている。
でのテーマ
「太陽はどこにあっても明るい。」
と共通する、人の世の善意を信じる力を思い出させる小説でした。
分断されつつあるこの世の中をつなぎ止めるのが辻村深月の小説なのだな。と思いました。
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折角ですので、撮ってきた画像をもう少し貼り付けます。
カメラとレンズは、いずれも
と
PENTAX K-S1+DA L55-300mm
です。
PENTAX K-S1の画像は望遠で、その他は成り行きで撮れた状態です。
もっとおまけに動画も。
追記
翌週、ふたたび四万十川を訪れ、冒頭で力くんとお母さんが働く食堂を見つけました。