daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

「子ども」は、おおむね従順である。

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ネモフィラ「第11回こうのす花まつり」馬室会場ポピーまつり2021年5/15(土)~23(日)予定地
by Daniel Yang at April 25th, 2021 PENTAX K-S2 DA 18-135 1/400秒、f/8.0、ISO: 200、203mm相当
画像は記事とは無関係です。
こんばんは。だにえる・やんです。

「うっせぇわ」がヒットしていて愉快

最近、街中で耳のすることの多い、Adoのヒット曲「うっせえわ」
スト高がこの曲をプレミアム公開したのも、タイミング良く視聴しました。
スト高は、ボカロ曲やアニメソングをG, B, Dr+スタンディングヴォーカルのシンプルな編成でバンドサウンドで聴かせてくれる4ピースバンドです。
こんな曲がヒットしていて僕は愉快です。

受け売りで説教するバカを批判した曲

解釈は人によって様々なようですが、僕が「うっせぇわ」を痛快に感じたのは、
大人になって、なお「受け売りの常識」を偉そうに説教するバカ
を皮肉した曲だからです。

他の解釈

YouTubeのコメント欄を読むと、別の解釈もあるようです。
例えば、
説教にあらがう、子どもの歌
僕は、この解釈(説教にあらがう、子どもの歌)に違和感を覚えました。
そこで、本日はこの違和感をうまく説明したいと思い立ち、久しぶりにブログ記事を書き出した次第です。

子どもが、受け売りの常識を説教する仕組み

そもそも受け売りの常識で説教する人って子どもだよね?
と、思うわけです。
少し考えました。
子ども特有の性癖「受け売りの常識で説教する」は、どのようにして作られるのだろうか、と。
  1. 親や、学校の先生などの「大人」の言うことを聞く子どもがよい子。
  2. 大人に「よい子認定」された子どもは、子ども同士の仲間内で「えらい子」となる。
  3. 「えらい子」は、他の子どもに対して「あなたがたも、よい子どもにしてあげる。
    と言う意識が働くことがあるように思う。
    そこで「親や学校の先生の受け売り」を仲間相手に教えてさしあげる行為に出る。
こんなところだろうと考えました。
ひらたく言うと、大人に褒められた子どもが調子に乗って、友達に対してマウンティングをしに行っている状態、なのではないか。と思ったわけです。
 
告白すると、僕自身が、そういう子どもでした。わりと遅くまで。
高校生になってしばらく経ったときに、中学生の頃の自分を振り返り「俺は教師の犬」だったのではないか、と、思い当たったのが、軌道修正の切っ掛けでした。
高校生だったある時に
「もう、僕は大人になった。自分で責任を取れる範囲で自由なはずだ。
「自分が自由でいるためには、周りの級友たちの勝手も認め、むやみに口を差し挟むのはやめよう。」
と思ったわけです。

子どもは従順でも良い

ただし、子どもは従順でも良い。と思います。
例えば、危険な遊び(高いところから飛び降りる、「火遊び」、自傷行為など)は、理屈ではなく、大人に「やめなさい」と一方的に言われることを聴くのが良い子どもだと思います。

大人になったら、自分で考えるようにならないとイケナイ

ただし、大人になったら、特定の考えに盲従するようでは困ります。
例に出した曲のように、
「通勤時に経済紙を読んでお勉強するのが良い大人」
とか
「飲み会では、酌をするのがマナー」
とか。
たしかに、これらを「常識」として考える人がいる事を知っていて損はないでしょう。
しかし、同時に、人によっては
「そんなことはする必用がない」
と考える人もいることを念頭に置く(多様性を認める)ことも必用だと思います。
子どもに危険を回避させるための説教とは違って、
自分で責任を取ることができる大人は、自分自身の常識を構築する勝手が許されると思うからです。
サラリーマンの場合、
(就業時間内は別として)通勤時に、趣味の小説本を読む事を止められるいわれはありません。
(営業の接待は別として)割り勘の飲み会で、他人に酌をする義務はありません。 
 
いろんな考え方があります。小説本を読むと、心が豊かに成り、将来の仕事に役立つかもしれません。飲み会では、自分で酒をついで飲む方が楽しい人もいます。あるいは、単に自分のペースで飲みたい人もいるでしょう。
これら、各人の勝手を許さず、「通勤時に経済紙を読め」とか「酒が空いたグラスがあれば、すぐにつぎなさい」と言う人は、
結局の所、親に「よい子ね」と褒められた子どものように振る舞っているのだと思います。

大人になって、なお「褒められたい人」もいるし、「お前も褒められるようにしてやろう」と言う人もいる。

ところが、実際の世の中には、この曲のように、大人に対してなお、勝手を認めずに、自分がかつて褒められた「経済紙を読む」とか「酌をする」ことを人に対して指導せずにはいられない人もいます。
つまり、なんらかに阻害されて、社会性に欠けた大人も、案外沢山います。
これら、社会性を欠いた大人は、
マウンティングを取りに行っている
と自覚することはないでしょう。
と、言うわけで、我々は「うっせぇな」と言うしか無いわけです。
ただし、実際には「うっせぇな」とは言わないので、この曲を聴いて、自分の心の慰めとするのが、常識ある大人なのだな。
 
と思った次第です。