daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

「トラベシア」第6号「いしあいひでひこのやさしい人生」を読みました6

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秋田県仙北市乳頭山(烏帽子岳) '21/7/26 PENTAX K-S1 DA L55-300, ISO: 200, f/11.0, 1/400s, 460mm相当
の続き
を読んでいます。
本日は、p18~21「エッセイ」はてなブログから その1
長めのエントリーから二作をピックアップして掲載されています。

 

2012年3月6日のエントリー
と、
2004年3月7日のエントリー
です。
1本めのは、おそらく「ザ・インタビューズ」にいしあいさんが投稿された記事の自己転載。「ザ・インタビューズ」については、ねとらぼの下記記事が参考になると思います。
当誌(トラベシア)で解説されているところによると、2011東日本大震災から半年を経ての気持ちについての質問に回答したものと推測されます。
 
「おれも、そうだ。」
と思いました。
書いている現時点で、高校の同級生の訃報に、ほとんど反応していないのと、兄から「そういうことなら、良い機会だから、実家に電話して親戚に声を掛けてみろ。」と言われ、ほったらかしにしている(いや、電話掛けるつもりはあるのだけれど)自分(だにえる・やん)の現状があります。
 
二本めのは、僕は「四方田犬彦」って知らないんだけれど、これは、ちょっとすごいよ。
大上段に構えた言い方になるけれど、
本号の主旨(一般人を雑誌で特集すると何が生まれるのか?)の答えが、このエントリーにある、と感じました。
 
現代に積み残された社会的な課題として「分断」があると思います。その解決手段のヒントが述べられている、と感じました。
僕が、近年感じている分断は、マスコミにしか情報を求めない人と、ネットで自分から調べる人の分断です。
テレビしか見ない人は、ネットから情報を集めている人を「自分の思い込みに沿った情報のみ集めて、信じ込んでいる。」と思っているようだし、
あまりテレビを信用していない僕は「テレビ局の意図に沿ったレアケースをニュースとして取り上げ、大衆を扇動している。」と思っています。
いしあいさんのこのエントリーは、社会格差について述べていて、底辺に近い人の気持ちにより添いつつ、その不満が不幸な方向に向かわないための秘訣を述べられています。
アメリカでのBLM運動に、いまいち賛同してはイケナイような気がしていたのですが、それはいしあいさんのこのエントリーを読むと、納得がいきます。
僕が(あまり吟味せずに)要約すると「革命で社会問題は解決しない。」です。
ロベスピエールは死刑に処せられたわけだし。
「では、どうするの?」と言う段になって、このエントリーを咀嚼し、
・ 大衆に恐怖を植え付け、怒りの感情を煽るテレビではない。
・ 団結し、力を持つ方向では、問題は解決しない。
などの消去法から、漸進的な格差是正を目指す方向という曖昧な言い方しか僕はできませんが、それは(視聴者に怒りの感情を与えるニュースを好んで流す)マスコミにはできないので、たとえば個人のブログのような、大衆を扇動するではない、丁寧な意見を読む個人の良識の育成に期待するしかないのかな。と思います。
つまり、このような自主制作の雑誌のようなメディアで、いしあいさんのような丁寧な意見に耳を傾け、それぞれの読者が良識をもつことが、世の分断を解消し、不幸な方向から転換することにつながるのではないのかね。
と、気づくことが、この雑誌の実験での成功事例だな。
と思ったわけです。
(この感想文は第六回にして、最終回のようなことを書いてしまいました。)
 
それにしても「よくぞ、この二つのエントリーをピックアップしましたね。」と恐れ入ります。
いしあいさんのブログの概要を参照してみます。
最初のエントリーが
2003年9月15日のエントリー
で、約十年間。2012年ころまで盛んに書かれています。
 
エントリー数は、3,833
莫大です。
雑誌で特集を組む段になって探すのは難しいと思います。
おそらく、全部読んでいた編者(鈴木並木さん)が、印象に残ったものをピックアップされたと思います。
鈴木並木さんはただ者ではないし、おそらく鈴木並木さん自身は、いしあいひでひこさんをただ者ではないと思って特集を組んだのだと思います。
むろん、ぼくもいしあいひでひこさんをただものだとは思っていないのですが、では、どのように「ただものではない」と思っているのかは、後日記します。
 
つづく(つもり)