daniel-yangのブログ

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岩井俊二「零の晩夏」を読んだ

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September 19th, 2021 from the overpass on Prefectural Road No. 20 over the Tobu Isesaki Line, looking toward Agata Station at Agata-chō, Ashikaga City, Tochigi Pref.
岩井俊二「零の晩夏」文藝春秋2021/6/25を読みました。
深く、緻密で複雑なストーリーが結末で収束する。すごい物語でした。
いろんな要素があるのですが、まとめて感想文を書く前に、感想を箇条書きにしました。感想文の下書きとして書きまくります。

複数の人による著作物

この小説は芸術に携わる人を取材する美術誌の編集者の視点で書かれています。
絵画は小説(この小説は岩井俊二一人で執筆されたであろうこと)などと同じように、通常は一人の作家が作品を作ると思うのですが、
この小説では「複数の人が作る手法」についても扱っています。
音楽だと、有名なところではビートルズのポールマッカートニーとジョンレノンとか、
小説だと僕の印象に残っているのは「リレー小説だよ。」と聞いたこの小説。
もともと自主制作で売っていたのがメジャーの出版社から出版されたもの。二人でリレー方式で書いているそうです。
かましく自分の話を書くと、高校生の文化祭でコピーバンドやったとき一曲だけ作ったオリジナルが、二人の合作だった。4小説のAメロとBメロの楽譜をもらって、それぞれ8小説に伸ばして、8小説のサビを加えて書いた曲が、唯一まともに作曲して演奏した僕の曲なのだが、合作なのでたとえばYouTubeに勝手にアップするわけにも行かず、自分の脳の中で時々リピートしているだけという(個人的に)もったいない状態。加えて比較的評判がよかったのは、ヴォーカルの人がつけた歌詞がおもしろく、切なく身にしみるクリスマスの歌だったというのも(たとえばインストゥルメンタルでもアップしたいなと思わない)原因の一つ。

 

現代において、個人(一人)で思う存分に創作して完成品の作品にできるのが、絵画や小説の特徴だと思いますが、
希に複数の人のコラボで素晴らしいものを作る人がいるのも、また特徴だと思います。
ただ、喧嘩別れのように解散してしまうバンドのように、奇跡的なコラボが生み出す高い芸術性をもった作品を残して、解消されてしまうコラボもまた必然なのかも、と思いました。

 

究極の芸術至上主義

これは、岩井俊二監督の「リリイ・シュシュのすべて」で、後年に蒼井優と監督とが対談したの聞いた記憶がある。監督の覚悟の一つでもあるだろうな。と思いました。
その話を書いて良いのか解らないけれど、丸刈りにした教室の撮影で「もうこんな映画やだ!」と叫んだ女子生徒役の反応を監督が本編に使うと言うような所。たしか対談で蒼井優が「監督は天国に行けない」とか言って突っ込んだところ。
リップヴァンウィンクルの花嫁」もそうだけれど読者を選ぶ小説だと思う。
ところで、このシーンで使われるガソリンは間違いなので、文庫にするときには、灯油に直して欲しいと思いました。ガソリンだと爆発して一秒も経たないうちに終わる。「燃える」という状態にならない。それはガソリンではなく、灯油だと思う。

 

呪われた人生にある生きる意味

呪われたような人生を生きている人が何人も出てくるのだけれど、
呪いで死ぬ人もいれば、生き残る人もいて、
「必ずしも呪われたからと言っても死ぬとは限らない」
とか
「その呪いによる祝福もあったりする」
とか、
この小説の主題的なものがこれであるような気がしました。

 

恋愛感情と愛情

前半の無邪気な(一般的な)恋愛感情の内面描写がおもしろかった。


一つの真実も、語り部によって全く様相を異にする事実として語られる。

とにかく、たくさんあった。
仕込みが多いです。
挙げ句の果てには、冒頭のシーンからして、、、、
これを称して岩井俊二版「藪の中」と言ってみたのですが、
あらためて芥川龍之介「藪の中」
を読むと、芥川のは、関係者3人がそれぞれ、他の情報提供者の供述と矛盾しない内容で、しかも3人の話は、それぞれが矛盾し、読者には結論が出せない仕組み。
一方、本書(零の晩夏)は、現代の小説だけのことはある。伏線を全部拾って、一つの真実(らしき推測を交えた)ストーリーに収束します。かなりすっきりです。

 

複雑で多様な物語が最後に一箇所に辿り着く

いやいや、現代の小説なのだからアンフェアーなことはないだろ
とは思っていたのですが、収束の仕方はすごかった。おみごと。参りました。

 

バカは使い物にならないが、悪は使いようである

個人的な付き合いの場合は勝手次第、ということでしょうが、
組織の中で、この手法(バカは用いず、悪を都合よく使う)は、現場での協力体制を阻害する手法だと思う。が、ここでは論じない。

 

ホントに内偵を仕事にするなら年俸一千万円くらいは欲しい

内偵が必用になるような、犯罪(横領や窃盗、詐欺)を犯している管理職の部下になって証拠集めるのが仕事、と言われたら、僕は年収1千万円は欲しい。
経済犯罪であっても、やつらは、それを隠そうとして周囲の人間に脅迫や暴行、収賄、共犯の強要など、もっと量刑が多くなるような犯罪に手を染める。身の危険や不愉快や「刺してやろう」という自分が犯罪者になるリスクも勘案して一千万円欲しいです。
新入社員時代に「結果として内偵の仕事をした」という人に話を聞いたことがありました。

 

表紙は三重野慶[みえの・けい]の超写実画。インスタグラムに投稿してあったので埋め込み機能で貼り付けます。
 
 
 
 
 
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ちなみに、小説の冒頭で示される画家「零」による作品「晩夏」はこの絵とは異なります。(スカートまで描かれていることがわかる描写があります。)