daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

便宜的な説明

2022/6/19 11:29 埼玉県坂戸市 PENTAX K-S2 DA18-135 ISO: 100, f/7.1, 1/320秒、207mm相当
最近のニュースで話題になっている長引く社会問題などについて。
ほとんど指摘されていないようですが、
一旦、便宜的な説明がされて、みなが納得すると、
便宜的な説明であることが忘れ去られ、固執してしまう。
「やっぱり、違った。」
「修正します。」
という段取りを組めずに、効果の無い、無意味な対策を続けていることが問題を長引かせているのではないか、と思いました。

便宜的な説明に納得すると、そこに安住したくなる

よく「出口戦略がない」との批判を耳にしますが、
批判は的を射ていないと思います。
対策や対処療法が施されると、たとえそれが的外れで無駄な対策や治療法であっても、とにかく続けたい。やめたくない。と考える「出たくない」という態度なのではないかと思います。
具体的に言うと、COVID-19対策は、体が咳や発熱などの反応が出る前に喉より奥でウィルスが繁殖するのがヤバくて、対策が必要だったのに、喉より上で繁殖するようになった2021年の春以降も対策を続けている為政者や対策を訴え続けるマスコミは出口戦略を採らせまいと躍起になっているように思える。
「出口戦略がない」
のではなく、
「出口戦略に移行させたくない」
陰謀を疑った方が良いと思います。
 
と、言うことを言いたいのですが、
これから、遠回りしていろいろ書きます。

科学の役割は「まだわからない」ことを教えてくれるところ

自然科学は、いろいろな仕組みを解き明かす側面がある一方
「これは、まだ解らない。」
「どうやら、未知な要因があるようだ。」
など、曖昧、というか、無知の知を得る事に特徴があると思います。
これは、自然科学に限らず、人文科学でも、社会科学でも同様だと思います。
例えば
「戦争になると、それまで戦争を毛嫌いしていた人も協力するようになるのは、なんでだろうね?」
とか、
「ファッションの流行が去ると、へんてこりんな印象を受けるようになるのはなんでだろうね?」
とか。
その時々、テレビなどで、もっともらしい説明をする人が登場して、納得している自分に思い当たります。
しかしながら、そこで説明されたもっともらしい理解に基づいて対策が打たれても、繰り返し同じ間違いをするのが歴史の教えるところだと思います。
つまり「もっともらしい。」と納得した説明は、的を射ていなかったのだ、と思います。
 
'22/6/19 11:29 PENTAX K-S2 DA18-135 ISO: 100, f/6.3, 1/320s 207mm相当
それでも、新たな社会問題などが生じるたびに、
テレビでは、専門家なる人々が逐一説明して、みんな解ったような気分にしてくれます。
 
実際は
「よく解らないけれど、こういう理解をしています。」
とか
「暫定的に、こういう対応をしますが、正しい対応かどうかはわかりません。」
ということをしているケースも結構多いと思うのよね。
 

ねじれネマティック液晶は、実はねじれに沿って偏光がねじれるのではない

勉強したこともない他の分野について言及するのもなんだから、
液晶で例を挙げてみましょう。
TN(ツイスティッド・ネマティック)というかつてポピュラーだった液晶表示装置に用いられる液晶の配列形式。
「表面から、背面にかけて、90度にねじれた液晶分子に沿って、偏光が回転して、透過します。」
て説明を、よく耳にしました。
絵を描きたいところですが(^_^;)
wikipediaが、この通りの説明をしていて、図も載っているので、ご参照ください。
この説明は、便宜的な説明です。
実際は、液晶分子のねじれに沿って光が進むわけではありません。
a) 偏光板を90度回転させて、液晶分子に直交する偏光が入るようにしても、同じように、ディスプレイができます。
b) ねじれてなくても同じようにディスプレイになります。
ねじれている液晶分子の平均方向(つまり、表面と背面の中間の角度)で、
ねじれずに真っ直ぐ並んだ液晶層を偏光が進むのと同じ挙動をします。
だから、0度から90度にねじれている場合と、45度でねじれていない液晶層で同じようなディスプレイモジュールを設計することが出来ます。
c) -90度から180度(合計270度)ねじった、スーパーツイストネマティックも同じ光学設計になります。
ねじりが大きくなると、打ち消し合う分子が多くなるので、そのぶん、液晶層を厚くする必要が生じます。また、斜めから見たときの状態はそれぞれ異なります。ですので、実際は同じ設計はしません。
 
しかしながら、これ、実際に液晶ディスプレイの開発業務に携わっていた人でも
ねじれた液晶分子に沿って、偏光が回転する。
と鵜呑みにして「これは便宜的な説明だ。」ということをご存じない人が多いです。
ていうか俺は当時務めていた会社で
「ねじれネマティックじゃない液晶ディスプレイを作る。お前担当な。」
と言われたので勉強して
「へー。」
と気がついたんだけれど、気が付いたことを周囲の人に言うと
「なに、バカなこと言ってるんだ。」
と逆に説教されたりしました。
僕に教えてくれた先輩や、自分で計算して設計ができる人は、あたりまえのこととして、ねじれに沿って偏光が回転するわけではない。とご存じでしたが。
おそらく、この文章を読んだ専門家のうち、結構多くの人が、反論(ねじれに沿って偏光が回転するんだよ。)と僕に説教したくなっていることでしょう。
ここで議論するつもりはありません。みなさん、ご自分で勉強してください。
※ それでも反論したい方がいらっしゃったら、ジョーンズ行列で説明してね。
「専門家でも、実際に業務に携わっていない人は、便宜的な説明を鵜呑みにして、疑うことを忘れがち」
と、僕に認識させました。
便宜的な説明に納得した人は、疑うことを忘れて、新たな知見が得られても修正しません。
そして、納得しているから、えらそうに人に説教をします。
なんで「保留」という態度が取れないのかなぁ。

なんで「保留」という態度が取れないのかなぁ。

例えばコロナの問題では、スウェーデンは、政府の担当の人が暫定的な対策を国民に説明しつつ、状況の推移に沿って対策を変更しながら政策をきめていったけれど、他の国から結構批判を浴びていた状況を見ると、日本に限らず、保留とか暫定的、暫時変更しつつ、という政策が採りづらいことがうかがい知れます。
日本では結局満員電車に乗って通い続けていた人がずいぶんといるし、
僕は最初の年(転勤で関東に来るまで)週に二、三回の頻度でプール付き温泉で泳いでいたけれど、むろんプールで泳ぐときはマスクしないし、温泉でもみんなマスクしてなかった。
しかも、こういう施設の利用者は高齢者が多いのよ。
まったく問題ありませんでした(笑)

宗教は、便宜的な説明を与えるもの。

リチャード・ドーキンスは、1987年に出版した第三主著「ブラインド・ウォッチメイカー」で、
ダーウィン以前の無神論者は、偽物。」
と言うようなことを言っています。
進化の説明がちゃんと出来てないダーウィン登場以前。「進化は神が為した業。」という説明を否定するのは、ならば、神でなくて、何が進化を為したのか。説明を放棄していることになります。無神論者は、逆に無責任なインチキだ、と言う論旨です。(と、僕は理解しました。)
つまり、自然科学でわからない不安を暫定的に説明して和らげる役割が宗教にある。

たぶん、不安を解消したいのだと思うのだけれど

不安な社会問題が発生しているときは、暫定的でも「こういう仕組みです。」「この対策で安全が確保されます。」とか誰かに言ってもらいたい気持ちもわからないでもないです。
でも、もう少し、我々一般市民が「仮に対策したけれど、見当外れだったので変更します。」というような、
大いに不安を煽る政策の変更であっても、ちゃんと理解して、受け入れる力を持つべきだと思うのですよ。
 
今も、電車に乗ると、マスクをしている人が多いですが(していない人も混在していて、誰も文句言いませんが)
この効き目のなかった対策は、この時期に生まれた赤ちゃんが表情を読み取る能力が育まれないという、かなり重大な将来への不安を生んでいると思うのですよ。
我々、今現在大人の人は、老後に彼らに頼ることになるわけですけれども、コロナ禍に生まれた人達は、コミュニケーション能力の発達障害で、社会は停滞し、殺伐としたものになりそうで怖いです。
実際は、みんながコミュニケーション障害者になるわけではなく、
一部の人が、多方面で活躍する格差の大きな社会になっているのだろうけれど、
そういう社会で老後の我々が、若者を当てにするのは難しそうな気がするのだよね。
 
今の我々に必要なのは、不安を解消する便宜的な専門家の解説ではなくて、
失敗を是正しながら手を打っていく柔軟さだと思う、早い梅雨入りが明けたら楽しい夏に期待をする、今日この頃でした。
敬具。