daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

海野宿~「歴女」で「真田幸村」ファンなら、是非とも訪れたい

真田弾正忠幸隆BOT (@yukitaka_sanada)さんからリプをもらったので、
記念にHatena Blogを始める前にmixiで書いた日記2013/1/29をコピーします。

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海野宿

上田市の隣の東御市[とうみし]にあります。歴女真田幸村ファンなら上田城を訪れる機会もあるでしょうから、足を伸ばして海野宿も尋ねてみてはいかがでしょうか。
「海野」は[うんの]と読みます。日本人の名字です。
今でも時々「海野さん」に出会います。
以前勤務していた職場の同僚にも「海野さん」がいらっしゃいました。
ついでに言うと、真田十勇士にも海野さんがいます。(幸村の右腕「海野六郎」)
念のために申し上げると、職場の同僚の海野さんは、忍者ではありませんでした。武士でもありません。ごく普通のサラリーマンです。
さて、真田十勇士海野六郎は架空の人物ですが、実際の歴史上最も有名な海野さんは、平安時代の末期に活躍した、海野幸親(1154 ~ 1184)です。

木曽義仲軍の主力

海野と、その一族が治めていた東信濃小県郡と佐久郡)に木曽義仲(1154 ~ 1184)を招いて挙兵させ、その四天王の一人として京都まで攻め上りました。
と、記すと、少々海野贔屓に過ぎますので(^_^;、海野宿に掲げられている、木曽義仲挙兵の地の説明看板を貼り付けます。
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幸親は木曽義仲と共に戦死しますが、家督を継いだ三男の海野幸氏(1172 ~)が、源頼朝(1147 ~ 1199)御家人となって、海野家は室町時代末まで続きます。

真田幸村との関係

で、真田幸村(信繁)との関係です。幸村の祖父真田幸隆(幸綱)(1513 ~ 1574)が海野家の出身です。
真田幸隆(幸綱)の父親が海野棟綱です。いや、祖父だ。いや、別人だ。と諸説ありますが、
江宮隆之の小説
真田幸隆 (学研M文庫)

真田幸隆 (学研M文庫)

 
では、幼い頃に実父が亡くなったため、一族の統領である海野棟綱に養子として引き取られ、本家で育てられた。として辻褄を合わせています。少し前の資料に真田の名前があることから(真田幸隆(幸綱)の実父は真田なにがしであろうと思われるので)納得しやすい設定です。
このころ、海野と、その一族の支配地域のうち、佐久郡はほぼ武田信虎(信玄の父親1494 ~ 1574)に切り取られ、遺った小県郡(現上田市東御市と、その周辺)も、北信の村上氏と争う状態でした。
海野棟綱は、息子がまだ若いことを考慮して、家督実弟の幸義(~ 1541)に譲りました。
と、言うわけで、海野氏は、真田幸村(信繁)から四代さかのぼった祖先、と言うわけです。

 

その海野氏発祥の郷
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が、海野宿です。
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海野氏については、海野宿入り口の石碑
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の元が、
に詳しく記されています。ご参照してください。

 

と、言うわけで、この日記をご覧になった貴女が歴女であり、真田幸村のファンであれば、是非とも訪れて欲しいと願いこの日記を記します。

海野宿ガイド

以下の内容は、僕が訪れた2013年正月時点のものです。変わってたらゴメンネ。
先ずは駐車場
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駐車場があります。普通車であれば\300で午後五時まで駐められます。
二月九日までの冬期期間中は無料で駐められるようです。

 

立派な公衆トイレもあります。
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ゆっくり用を足してから、見学に歩を進めましょう。

白鳥神社

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駐車場を出て、最初に訪れるのが白鳥神社です。
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海野氏、真田氏の氏神です。
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江戸時代の宿場町

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海野宿は「江戸時代の宿場町」として保存されています。
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江戸時代の主場町らしい旧家も残っています。
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吾唯足知

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街道にありました。
吾唯足知[われ、ただ足るを知る]と読めます。
常日頃から不足していることばかり数えて嘆いていないで、満足することも覚えないと豊かな人生は送れませんよ。というような禅の格言だそうです。
ネット検索すると、龍安寺の蹲踞(つくばい)の他、お酒の銘柄などが見つかりましたが、これは水場(消火栓?)にあったので龍安寺のつくばいにちなんでいるのかも知れません。

大屋駅

てくてくてく、と歩いて行くと、いつの間にか東御市から上田市に入っていました。しなの鉄道大屋駅」にたどり着きました。
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大屋駅周辺の案内図です。(南が上です。)
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この地図が海野氏とその一族が支配した、旧小県郡全域です。
上田市と、東御市(うち、旧佐久郡北御牧村を除く地域)と、青木村、長和町です。
東御市のうち、旧小県郡地域の町名「東部町」の町名を残した消火栓がありました。
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駅の待合室で、缶コーヒーを飲みながら、一休みさせていただきました。
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大きな古い柱時計が動いていました。

帰り道

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千曲川を見ながら、再び北国街道の海野宿を歩いて行きます。

再び海野氏

再び海野氏についてです。
海野氏は、望月氏、禰津氏とともに、清和天皇の子孫である滋野氏の一族で、海野、望月、禰津の三家と、その支流を「滋野一族」と呼びます。
ここで気がつくのは、この三家の名が真田十勇士に採用されていることです。
海野六郎」:真田幸村の右腕
根津甚八」:海賊
 
これは十勇士に実際に真田家とゆかりのある出自を設定することで、あたかも実際に真田幸村と同時代を生きた人のようなリアリティーを出す小説手法です。
気が利いていますよね。