真田弾正忠幸隆BOT (@yukitaka_sanada)さんからリプをもらったので、
@DanielYang20 そなたも真田家の一員ぞ
— 真田弾正忠幸隆BOT (@yukitaka_sanada) 2016年6月25日
記念にHatena Blogを始める前にmixiで書いた日記2013/1/29をコピーします。
海野宿
「海野」は[うんの]と読みます。日本人の名字です。
今でも時々「海野さん」に出会います。
以前勤務していた職場の同僚にも「海野さん」がいらっしゃいました。
念のために申し上げると、職場の同僚の海野さんは、忍者ではありませんでした。武士でもありません。ごく普通のサラリーマンです。
木曽義仲軍の主力
と、記すと、少々海野贔屓に過ぎますので(^_^;、海野宿に掲げられている、木曽義仲挙兵の地の説明看板を貼り付けます。
真田幸村との関係
江宮隆之の小説
では、幼い頃に実父が亡くなったため、一族の統領である海野棟綱に養子として引き取られ、本家で育てられた。として辻褄を合わせています。少し前の資料に真田の名前があることから(真田幸隆(幸綱)の実父は真田なにがしであろうと思われるので)納得しやすい設定です。
と、言うわけで、海野氏は、真田幸村(信繁)から四代さかのぼった祖先、と言うわけです。
その海野氏発祥の郷
が、海野宿です。
海野氏については、海野宿入り口の石碑
の元が、
に詳しく記されています。ご参照してください。
海野宿ガイド
以下の内容は、僕が訪れた2013年正月時点のものです。変わってたらゴメンネ。
先ずは駐車場
駐車場があります。普通車であれば\300で午後五時まで駐められます。
二月九日までの冬期期間中は無料で駐められるようです。
立派な公衆トイレもあります。
ゆっくり用を足してから、見学に歩を進めましょう。
白鳥神社
駐車場を出て、最初に訪れるのが白鳥神社です。
海野氏、真田氏の氏神です。
江戸時代の宿場町
海野宿は「江戸時代の宿場町」として保存されています。
江戸時代の主場町らしい旧家も残っています。
吾唯足知
街道にありました。
吾唯足知[われ、ただ足るを知る]と読めます。
常日頃から不足していることばかり数えて嘆いていないで、満足することも覚えないと豊かな人生は送れませんよ。というような禅の格言だそうです。
大屋駅
大屋駅周辺の案内図です。(南が上です。)
この地図が海野氏とその一族が支配した、旧小県郡全域です。
駅の待合室で、缶コーヒーを飲みながら、一休みさせていただきました。
大きな古い柱時計が動いていました。
帰り道
千曲川を見ながら、再び北国街道の海野宿を歩いて行きます。
再び海野氏
再び海野氏についてです。
ここで気がつくのは、この三家の名が真田十勇士に採用されていることです。
「根津甚八」:海賊
気が利いていますよね。