March 31st, 2019 photo by Daniel Yang at Okō Castle ruins, Okō-chō Yahata, Nankoku City, Kōchi Pref.
PENTAX K-S1 147mm 1/250 sec, ISO-100 f/4.0
PENTAX K-S1 147mm 1/250 sec, ISO-100 f/4.0
の続きです。先週の土曜日に観た映画の感想を6つのポイントで述べています。今日は3つめ、と4つめ。
その前に、劇中で「第二ピアノできるよ。」と言うシーンがありますので、解説。
ピアノ協奏曲の練習に、いちいちオーケストラの皆さんに付き合って頂くわけにはまいりません。そこで、オーケストラのパートをピアノで代用して、別の誰かに弾いてもらうことがあります。
劇中では、オーケストラのパートを弾くピアノのことを「第二ピアノ」と言っていたようです。
PTNA特級の第三次予選は、あらかじめファイナルで選んだピアノ協奏曲の一部を第二ピアノと合奏する課題があり、
(映画では、第四楽章が弾かれましたが、この画像は第一楽章です。)
では、本題です。
3. 非凡な人のリアリティーと彼らへの理解がある。
天才に対し「特殊な人間」と突き放すのではなく、
さりとて「自分より多少努力が多かった同じ人」とひとくくりにするのでもなく、
丁寧な羨望を送ります。
「難曲に挑むピアニスト」
と聞くと、僕は
「一生懸命練習したんだろうな。」
「頑張ってミスタッチの無いように演奏するのだろうな。」
と安直に考えていました。
しかし、度々貼り付けているPTNAのピアノコンペティションで演奏するピアニストの演奏を聴くと「そのレベルではない。」と気がつきました。
「頑張って弾きました。」
とか、
「ミスしなかったよ。」
というレベルは、当に通り越して、音楽表現に集中していることが窺えます。
例えば(「蜜蜂と遠雷」の曲ではないのですが)小学生の時、うちにあった
「さすがに、100選の最難度の曲だ。」
と、子供心に思い。既に未知の音楽領域だ。
と思っていたのですが、なんと、今年のPTNAピアノコンペティションで演奏している人が居ました。
上に貼り付けた秋山紗穂さんがセミファイナルで弾いていました。
そして、これが、なんともエモいんですわ。
こんな、まるで機械のためのような、ピアニストの腕試しのような曲をエモく情熱的に弾くピアニストの音楽性の領域は、想像を絶します。
こんなピアニストには、
いや、ピアニストに限らず、スポーツ選手や、その他仕事の達人、仕事に限らず、何かの達人に対して、
僕も明石のように、丁寧に羨望のまなざしを贈りたいな。と思いました。
長くなりましたので、続きはまた今度。