twitterでの書き込みを貼り付けます。
6つの要素で感想を述べます。
— Daniel Yang (@DanielYang20) October 5, 2019
1. 小説の映画化作品として、とても満足。
2. 勧善懲悪でない作話法で成功させた嬉しさがある。
3. 非凡な人のリアリティーと彼らへの理解がある。
4. 脇役の芝居が良い。
5. 音楽が素晴らしい。
6. 最後まで緊張感がある映画としての完成度の高さ。#ブラボー蜜蜂と遠雷
1. 小説の映画化作品として満足。
小説は心理描写(と言うよりは、内面描写)で筋を追っていきます。
読者である僕の目線は、主人公自身の目線です。
一方、モノローグを用いない映画は、主人公の外見を観ています。
観賞している僕の目線は、第三者の視点です。
映画を観たときに、
「なるほど、彼らはこのように人目に映るのだ。」
と言う感動がありました。
と言う感動がありました。
インタビューでも、語られていますが、演じた役者の皆さんの負担の大きさが偲ばれます。
役者の皆さんは、この期待に応えてやりとげた、ということなのでしょう。敬服いたします。
(※1)不機嫌な果実結婚六年目のヒロイン、水越麻也子が、あの手、この手と、いろいろ考えたり、感じたことを述べながら、浮気をする物語。南果歩が演じる麻也子は、まるで何も考えてなさそうに見えました。成り行き任せの欲望に流される人。でも、原作の麻也子との矛盾はありません。「おぉ、確かに端から見れば、こうなるかも。」と思う説得力がありました。
2. 勧善懲悪でない作話法で成功させた嬉しさがある。
世の中、平気でウソをついて、相手を黙らせた人が勝ちみたいじゃないですか。
映画の世界は、さながら砂漠の中のオアシス。居心地が良かったです。
「ほら、できた。」
「ほら、できた。」
と栄伝亜夜が声を掛けるシーン(というのは、ネタバレ緩和のために、曖昧に書いているのですが(^^ゞ)
と
正直にカデンツァの感想を述べる高島満智子
の二つのシーンを象徴的に感じました。
の二つのシーンを象徴的に感じました。
原作では
「本選」は順位をつけるだけだから「残る」「落とされる」ような心配がない。オケと協力して、どんな演奏をするのか、工夫することに集中できる。
と、いうような説明があったように記憶しています。
ですから、ライバル同士が妙に仲が良くても、違和感はありません。
それと、僕の読書友達や、小説好きのネット上のレビュアーの話を聞いたり読んだりしていると(僕が泳いでいる、鬼ばかりの世間の荒波とは異なり)案外「協力する仲間」の存在を当然のこととして受け入れている人が多いように思います。
映画館に足を運んで映画観賞を楽しむ皆さんも、同様のように
「足を引っ張るのに夢中」
の人が少ないように思います。
小説を読んだり、映画を鑑賞するのが趣味の人は、物語を把握して、理解する能力がある人だと思います。
そういう人は、どんな人とも「対等な関係」を構築し、協力できることは協力する、良好な人間関係を築けるのかも知れないな。と思いました。
だから、楽譜を見て、自分なりの演奏を考えて、組み立て、実際にピアノで弾く、登場人物たちは、その認識力、状況把握能力を人間関係にも活かして、ライバルとも協力関係が構築できるのだろう、と想像しました。
高島満智子(高島明石の妻)の正直で、誠実な姿勢には、感動しました。
練習中の課題曲を弾いて聴かせた明石に感想を求められた妻の満智子。
人によっては「適当に褒めておけば良いのに。」と思うところでしょう。
劇中で満智子は正直に物足りない旨を明石に述べます。
歴史物が好きな人には保科正之のエピソードが重なるのではないでしょうか。
将軍徳川家光から鷹を借りておきながら
馬鹿正直に「二羽しか獲物がなかった。」と報告してしまう保科正之。
高島満智子の正直さは、保科正之と同様のモノです。
高島満智子の正直な感想により、明石も不機嫌になります。
でも、ここでテキトーに聞き心地の良い褒め言葉を述べないところが、高島満智子の美徳なんだよなと思いました。
そして、おそらく(その時は不機嫌になった明石だけれど)信頼されて、時には頼りにされるのだろう。と思いました。
夫や妻に「私を必用として欲しい」と願う人の悩みを時々聞きます。
信頼されるためには、方便や、お追従を述べては成らない。
正直で誠実な態度を心がけねばならぬ。
と。
むろん、誰かにお悩み相談されても、そんな不正直で不誠実な人に、このことをアドバイスしませんが。僕は。
続く。