喪失の国、日本―インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」 (文春文庫)
- 作者: M.K.シャルマ,山田和
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2004/01/01
- メディア: 文庫
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を参考にしています。
会社でもそうですが、日本人が主たるメンバーの組織では、各人が目的に誠実に取り組むで在ろうことを前提に(見つからなければサボるであろう、とか、金の分だけしか働かないだろう、とかと考えずに)業務遂行の計画を立てることができます。
ただし、そこにつけ込んで「俺がやりました。」「私はできます。」と自分の成果を強調する嘘つきが入り込むと、なかなか排除できないのが、この組織の弱点です。
このブックトークは、想定外のデストロイヤーの混入にうまく対処できなかったわけです。
ただし、主催者の方も、今回の不手際を分析し、今後に生かすことで充分学びの場になったと思います。
本日書こうと思うのは、加害者のリアリティーです。
小説は、二次被害を与える野次馬に主眼が置かれているので、主犯は更生の兆しを見せず、おそらく再犯に至りそうです。そこで、僕が小説を補完し(なんとまぁ、欺瞞ですが)加害者が再犯を防ぐ手立てを考えようと思いました。
他の方の感想文で(加害者の主犯が理系のひとなので)「文系と理系の対立を読んだ。」と記されているのが気になっていました。
僕は理系(合成有機化学=ヘテロ環芳香族の合成が得意)ですが、この加害者のたぐいは僕の友達や同僚にはいません。
加害者のたぐいと言うのは、友情や、趣味の一致ではない、メンバーで互いに協力し合うことを貸し借りのバランスをとりながら、結束する排他的な友人関係を作る人です。
小説好きの人であれば(だいぶ古い小説ですが)
で主人公が述べる新しい友情関係のたぐいです。
戦争に行ったと威張っている上の世代が、損得勘定をしない、協力関係を友情と理解しているのを冷笑し、
「俺たちの友情は、必ず貸し借りが帳消しになる」
と自慢しながら説明している、そういう関係です。
で、ま、僕の友人にそういう人がいないので、いまいち理系の犯罪者としてのリアリティーがこの小説で感じられなかったのですが、
ふと、本日「あ、そういえば、僕の大学にもいた。こういう人」と思い浮かびました。
必ず決まった二人でつるんでいました。
自分たち以外の人は、
利用できる人か、
敵か、
女か
です。
体育の合宿(一週間で単位が取れる)で、山の中のスケート場に滞在していたとき、
父親の車で来ていた僕に声を掛けて、ナンパにかり出されたことがありました。
つまり、利用できる人として僕が選ばれたのでした。
その時の二人の関係が、たぶん、この犯罪者のグループのたぐいなのではないか、と思いました。
なんだか、長くなったし、明日から帰省せねばなりませんので、続きは、また今度にします。
だいぶ冷え込んできましたが、皆様、良いお年をお迎え下さい。(^.^)/~~~