#彼女は頭が悪いから ブックトーク、会場の東大教員の中でも意見が異なった。小説を"ファクトチェック"し「東大を貶めるために書かれた本」と読むのか、「偏差値や学歴だけで人の価値をはかる社会で人が抱える抑圧や欲望が最も醜悪な形で表れた事件をどう読み、何を学ぶか」という視点で語るのか。↓
— 小島慶子 (@account_kkojima) 2018年12月14日
と言うようなイベントがあったようなので、書き足しようと思い、本作品の3つめの感想エントリーです。
なお、最初のエントリーは、我がブログ本体のほうで
です。
二つめのエントリーは、このブログで
です。
小説の感想文としては、僕の上記感想文よりも、お勧めがあります。
姫野カオルコファンとしては先輩にあたる(と、勝手になれなれしくしても、特にレスポンスなどはないだろうが)andre1977さんのがお勧めです。
さて、何を書くかと言うと、
今まで避けて書かなかった、この小説の主題、と僕が考える点です。
この小説を構成する着眼点は主に三つあると思います。
- 性は人の喜びである、と言うこと
- 犯罪実行の様子
- 被害者を苦しめる野次馬
このうちの3. 被害者を苦しめる野次馬について、本日は述べようと思います。
そのまえに、1. 性の喜びについて少し書きます。
この小説は、前半の性的な側面を含めた青春の輝きを描写した点に特徴があると思います。
性をどう捉えるかは、プライベートな側面が多いので、人によってそれぞれだと思いますが、
僕にとっては(好ましくは)喜びです。
喜びでなければ何ですか? と、考えて二つ浮かびました。
性が人の基本的な喜びでなければ、
別解1. 二人でするそれは、自慰の延長。相手に手伝わせるのがいつもの一人でなすのとの違いがあるだけ。
別解2. 売る恩。「私は好きじゃないけれど、あんたがやりたいならやらせてやる。」
別解1. の場合はお互いが好きなら、それはそれで良いと思います。マテリアルな喜びを追求する二人。なんだか、楽しそうなカップルですね。
これも、二人がそれぞれ「私はとくにやりたいとも思わないし。」と言うのであれば、それは、それで良いと思います。結婚して、想定する人数の子供をこさえてしまえば、家族運営をするうえで必須事項ではありません。その後の何十年一回もせずに過ごしても支障を来すことはありません。
人それぞれなので、別解1.、別解2. のいずれのカップルについても僕が申し上げる事はありません。
三つ選択肢があるとして、それぞれ違う選択肢を選んだ人同士のカップルについては、面白く書けそうな気がするのですが
たとえば、
僕はかつて、別解1と認識する彼女とつきあっていたことがあるのですが、あまり追求しない僕の下手さを目の当たりにして「おかしいなぁ。なぜ、こううまくいかないのだろう。」と悩み始めました。しばらく考え込んだ後、「こうしてみたらどうかな。ちょっと後ろに回って。」と提案されました。しかし、言われたとおりにした僕の所作は彼女を満足させるものではなかったようです。「うーん、ダメだわ。ね、売ってるこれ、買って使ってみてよ。」と僕が敬遠したくなるような提案を次から次へとされました。「つきあえないな。」と夜のその場で思ったことがありました。
が、こういうことを書き出すときりが無いので、後日にします。
比較的簡便にAVに接することができる今の世の中、AVを教材としてお勉強すると、
性とは、二人でやる自慰(別解1)、または、求める相手に付き合ってあげるもの(別解2)と認識するに至るケースが多々あるのではないか、と思います。
もしかしたら、ほとんどの方がこのように考えて、結婚をして家庭を築いていくことになっているのではないかもしれぬ。と思います。
この小説は(どなたも言及していませんが)前半の青春小説の部分で
「本来、性は人の基本的な生きる喜びである。」
と学べる機能があるのではないかな。
と思った次第です。
長くなったので、続きは後日にします。
つづきは、これです。