daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

彼女は頭が悪いから/姫野カオルコ 著 を読みました。4

の続きです。
 
まとめる意味で、この小説の粗筋を(僕の理解で)綴ると、三部構成として説明できます。
  1. 初めて大人の恋愛を体験して、世界は輝きを増しました。
  2. 相手の男が別の女に気が移り、邪険に扱われるようになり、エスカレートして暴行を受けるに至りました。
  3. どういうわけか、ネットやマスコミの野次馬から被害者が非難されて、大変難儀しました。
 
犯罪ものとしては、取り立てて特殊性のあるものではありません。
特殊なのは、犯人が犯行時に陥った失敗=自分勝手な正当性の構築とその思い込みを、野次馬が鵜呑みにして被害者を非難したところにあります。
 
以前書いたように、三つの要素が満たされている時に犯罪を犯すことになります。
  1. 実行可能な状況にある。
    殺人事件は、犯人が相手を殺すことができて、初めて成立するわけです。
    この小説の事件の場合には、被害者に暴行を加えることができる状況があったわけです。
  2. 犯行によるメリットがある。(動機)
    拾ったお金がわずかであれば、着服せずに交番に届けます。
    しかし、何年働いても稼ぐことができない金額であれば
    「着服しちゃおうかな。」
    と思うわけです。
    この小説の犯罪の場合は、主犯が仲間に貢献したい。と言うちょっと他の人からは理解しにくいメリットを犯人は感じた、と言うことになっています。理解するには、少し想像力を働かせる必要がありそうです。
  3. 正当性がある。
    どんな犯罪者にも、言い分があります。
    TVニュースやドラマで裁判官が述べる
    「身勝手な理由で。」
    と言われるものですが、
    犯行時には、被害者に対して
    「当然の報いだ。」
    と言う(自分勝手な)言い分があるようです。
    家庭内暴力で死に至らしめた犯人が
    「人として間違っていたから、人の道を教えてやった。
    罰を与えていたら死んでしまった。」
    と言うよなのも、ここで言う「(犯人の身勝手な)正当性」にあてはまります。この小説では、
    「被害者が自分の学歴におもねっているので、この程度の暴行は甘んじて受け入れるべき。」
    と考えていたと言うのが犯人の正当性として僕は理解しました。
 
犯行自体を主題にした場合は、小説の結末で犯人が
「あぁ、俺はこんな身勝手な正当性を自ら信じているうちは、再犯にいたるであろうな。」
と理解して、更生していく場面が描かれるのでしょうが、この小説の場合はわずかに病院で会った元カノが指摘して、犯人はそれを理解したのかどうか、読者に示されないままに終わります。
つまり、この小説の着眼点は犯人にあらず。周囲の(犯人の身勝手な正当性を)真に受けた野次馬による被害者の二次被害にあるわけです。
そして、その野次馬の声は、気にしなくて良いこと、と読者に示しています。
(たとえば、被害者が「えらい人に叱られる」と怯えているところに対し、読者にはそれが子供が無責任に書き込んでいることだ、と示している点です。)
この小説は、被害者に寄り添う形で結末に至り、読者に対しては、二次被害に遭った場合、その野次馬の声は気にしないで良い。とあらかじめ学習できる内容です。
 
僕は、こんなふうに小説を読みました。
 
ですので、わざわざ東大で、犯人の身勝手な正当性の是非を論じている人がいるのが、ばかばかしく感じられました。
小説を読むことができない人が、東大にはずいぶんと多いのですね。と思いました。
 
東大を弁護しようと躍起になる人って、つまりは犯人と同じ正当性を心から信じている人でしょ?
そんな自意識過剰があるならば、作中にあるように文芸小説まで昇華して、世に問うぐらいの学力があっても良いのではないか、と思います。
そういえば、君たち東大生の大先輩=第一回卒業生は、どこまでまじめに考えてどの程度ユーモアで言ったのか知りませんが、卒業時の送辞に対する答辞で
「我々は、貴族だ。」
と言ったそうじゃありませんか。
「貴族と言っても、
 世の金持ちのような経済的な貴族ではなく、
 また権力を持った政治的な貴族でも無く、
 我々は、知性の貴族だ。」
と、誇りを持って社会に出て行ったそうですが、ここまで言うと、文学になるよな。と思います。
 
また、君たちの大先輩である、とある文学者が小説でしたためているように
「我々は、芸術家だ。誰にも理解されないが、我々は芸術家だ。」
と気勢を上げてみてはいかがですか。
 元ネタは青空文庫だから、読んでみてよ。
ロマネスク (青空文庫POD(ポケット版))

ロマネスク (青空文庫POD(ポケット版))

 
僕は、この小説の犯人は東大でなくても成立すると感じています。
おもねってくる人がいる立場の人を犯人にした、同じような小説が成立すると思いました。
=たとえば、お金持ちで、おこぼれに預かれないかしら。と近寄ってくる人がいる人や、
大変にスポーツが得意で、モテすぎている人が、異性に近寄られて戸惑う状態
でも同じような小説が書けるのじゃないかしら。
 
規模は違っても、自分が属する社会の中で、同じような感覚を経験した人は多いと思います。
たとえば、クラスの中でいつも一番の成績を取っていた人。
むろんクラスで一番程度では東大にはうからないでしょうが、クラスの中がその人の社会の全てならば、おもねってくる人も(スネ夫みたいな人ね)に対して、多少のことは甘んじて受け入れるべき、と危険な心が芽生えることがあるかもしれません。
国語の授業でヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」
文庫 少年の日の思い出 (草思社文庫)

文庫 少年の日の思い出 (草思社文庫)

 
をやると「お前はエーミールだな。」と言われてしまうような人ね。 
そこで有頂天になって、おもねってきた人を邪険に扱って、ついには逮捕されるような暴行に至れば、この小説の事件と同じです。
 
おもねられた経験を持っている人は、おもねってこない人を友達に選ぶようになって、一つ成長するわけですが、(久しぶりに同窓会に出席すると、ライバル心を持ったり、おもねっていた人はごく一部の少数で、多くの人は「自意識過剰だったね。」と言う感想を持っていることに気がつくわけですが)そこに至る前に道を誤ると、前科者になります。
 
と、言うようなことを書くのは、
東大の人は、こんなふうに書くと、「いや、東大は違うんだ。」「おもねってくる人の熱心さが東大じゃない場合とは全然違うんだ。」と言う人がいる、と僕は想像しているのですが、
実際にはそんな東大の人は希であり、
多くの読者諸氏は(東大の人であっても)それぞれ
「あぁ、こうやって道を誤るのだな。」
とストレートに小説を味わっているのかも知れない。
と思って、ひとまず感想エントリーは第四弾でオシマイにします。