daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

後世への最大遺物(内村鑑三)を読みました。

後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)

後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)

 
amazonに書いたレビューをコピペするのも、我ながらどうか、と思うのですが(^0^;)

切っ掛け

NHK「100分de名著」ブックス 内村鑑三 代表的日本人―永遠の今を生きる者たち
 
番組中で、当作品(後世への最大遺物)の内容を紹介していたのを拝聴し興味を持ちました。
岩波文庫版はこちら>
代表的日本人 (岩波文庫)
 
キメは、日経ビジネスオンラインのインタビュー記事

漫画 君たちはどう生きるか
の著者が、執筆にあたり編集者から当作品(後世への最大遺物)を紹介され読んだことが助けになった、という内容の(僕の理解です)コメントをしていたので
「僕も是非読まねば」
と思いました。

概要

どうせ、この世に生まれてきたのならば、何かをのこして死んでいきたいじゃないですか。
では、何を遺そうか。
と言う問いに答えている本です。

キリスト教のサマースクールでの講演

形式は、講演の記録です。
キリスト教信者の若者へのサマースクールでの講義です。
キリスト教信者への講義なのですが、冒頭のはしがきで著者が述べているとおり
「一般の人生問題を論究」しています。
本書後半の「デンマルク国の話」で、代表的デンマーク人として紹介されているキェルケゴール
代表作
死に至る病 (岩波文庫)
 
死に至る病 (岩波文庫)
は一貫して「良きキリスト教信者とはどのような人なのか」と言う論法で哲学を論じています。
キリスト教信者ではない僕には、とても読みづらかったです。
ですので、本書も警戒して読み始めました。
が杞憂でした。「序」で述べられているとおり、
キリスト教信者で無くても、気安く読み進めることができるざっくばらん感で親しみが持て、楽しく読むことができました。
おそらく、他の講演者は内村鑑三とは違い、拳を握り、汗を散らしながら
「いかに戦うか。」
「いかに神に捧げるか」
などと熱弁を振るったのでしょう。
冒頭で
キリスト教の演説会で演者が腰を掛けて話をするのは、たぶんこの講師が嚆矢であるかも知れない」
と笑いをとっているように、気軽な感じで受講できるように配慮しているようです。

僕が死んだときの遺すモノ

僕自身を振り返ると、若い頃は
「何か大きなことを成し遂げて、世界に名を残して死にたい。」
と思っていました。

これができないとわかると
「享楽的に楽しい人生を送りたい。」
と、馬鹿なことを考えるようになりました。
 
さらに年をとると
「金を積めば楽しめるような娯楽に興じる人生は、じつは自分が求めるところではない。」
と気がつきました。
 
趣味で生物学(特に進化論)の本を沢山読んだ僕は
「結婚して、子供をわんさかこさえて、子育てに追われる人生」
ならば、それは(苦労が多いかも知れないが)幸せな人生だ。と思いました。
が、ついに子供も作らず。
何のために生きているんだか解らず、時々
「なんだか無駄に生きてるな。」
とむなしくなっていました。
そんなときにタイミング良く、この本の内容をに触れたテレビ番組や雑誌記事で知ったわけです。

内容

「金があれば」
「事業が興せるなら」
「作家になれるのであれば」
と後世への最大遺物の遺し方を考察した後
「それらよりも優れた後世への最大遺物とは何か」
と考えを述べる段になると、
膝を打つことしきりでした。
本書は古い本ですが、気楽な話し言葉で読みやすく、具体的な例を上げたり、たとえ話として良い例、悪い例を沢山あげてます。
本も薄く(後世への最大遺物は11ページから75ページまでしかありません)気軽に読めます。(僕は時間を掛けて読みましたが)

デンマルク国の話も面白いです。

戦争に負けて、領土を削られ、荒野しか残っていなかったデンマークがいかに繁栄を勝ち取ったかを語っています。
今ならば経済学の大きな成果である「比較優位の概念」で説明するところだと思うのですが、
本書収録の講演では内村鑑三は難しい理論は用いずに、
「外に失いしところを内において取り返すことができるだろう」
と言ったデンマーク人の有言実行の様子を紹介しています。
末尾に、親切で丁寧、優しく詳しく書かれた解説もあり、理解の大いなる助けになります。
(特に、内村鑑三が、後世への最大遺物の講演をした背景や、デンマーク復興物語の元ネタを得た経緯などが面白かったです。)

蛇足

せっかくつたないブログを読んで頂いているみなさまに、わざわざ「蛇足」と断って読んで頂くのも申し訳ないのですが、
本書で「後世の遺物」となる可能性のあるものの例としてあげている「作家の作品」
なぜ「作家の作品」が後世への遺物となるのか。この説明が面白かったので記したいです。
源氏物語」は違う。
と断っています。
後世の人々が事業を興したり偉業を成し遂げる思想になるような書物を差しているのだ、と説明しています。(と、僕は理解しました。)

 

僕も似たようなことを言われたことを思い出しました。
大学4年に進級して
「やばい、化学の科目だけだと卒業の単位が足りない!」
と、慌てて「量子力学」を受講しました。(結局「量子力学」の単位は取れず、生物学をいくつか受講してぎりぎりセーフで卒業しました。)
我々学生に不満があったのか
講師が、難しい講義の合間に、
「だいたい、君たちは本を読んでいるのか?」
と問いかけました。
当時太宰治を読みあさっていた僕は
「読んでいます。」
と威張って答えました。
その時の先生のセリフが
「どうせ、小説本のたぐいだろう。」
でした。

 

この教授の台詞(「どうせ、小説本だろう」)は、妙に印象に残りました。
「なるほど。僕にとって読書とは、小説のような娯楽であって、勉強ではない。」
僕は、テレビを見る代わりに(テレビも観るんだけれど)小説を読みます。
娯楽です。
威張って読むことを誇るようなものではありません。
と腑に落ちました。

 

この話にオチはありません。だから蛇足なのです。
新緑が目に鮮やかな今日この頃。新人の皆さんは新しい環境にストレスが溜まっているころだと思いますが、小説本でも読んで、気晴らしをしながら愉快に春を過ごしていきましょう。