もうそろそろ読み終える所なんだけれど、
エンディング近くで、海の近くに住むコトへの感想があるので、ちょっと記してみたいと思います。
昨年、埼玉県に引っ越してくるまで、八年間高知県の南国市というところに住んでいましたが、
海に面した市なので、海が身近でした。
桂浜画像もあります。
東端の室戸岬には、夕陽を撮りに随分と通いました。
夜須のヤシィパークで気軽に泳げたし。
1. 海には気軽に行く
たぶん、海近くで育つと、海に行くのが気軽なのだと思います。
と、言うのは、大人になってから、彼女に「海に行こうぜ。」と言うとやたらと身構えて、気合いを入れてくることに思い当たって。
ぼくの地元は神奈川県の相模原市の小田急線沿線(市の南端)で、海に面しているわけではないけれど、小田急江ノ島線に乗れば、気軽に海に行ける。
と言うことで、中学や高校の同級生とは、それほど身構えることなく、夏に遊びに出かけるとなれば、海に泳ぎに行くことも多かった。
とりたてて恋人づきあいしている女の子でなくとも、数人のグループで由比ヶ浜
とか片瀬海岸
とかで泳いだ記憶も多い。
中学生の時、男三人、女二人で鵠沼に遊びに行って、水着も用意してなかったけれど
「ボート乗ればいいじゃん。」
と海に入って、結局みんなびしょ濡れになって、乾くのを待って、電車に乗って帰ってきた。
とか
成人した後、高校の同級生、男二人、女二人で大磯の海(岩が多い)で泳いだときも、
バレー部のキャプテンだった女がセパレートの水着を着ているのを見て
「お、気合い入れてるね。彼の趣味?」
と儀礼的に一言コメントしただけで、後はみんな泳ぎまくって岩と岩を行き来してたし。
(だって、海には泳ぎに行くのでしょ?)
そういう気楽な感じでした。
だから、大人になって、恋人が出来て、夏になったら「海に行こうぜ。」と気軽に言うのですが、彼女らがやたらと身構えて、気合い入れて来るので
「あぁ、俺は海が気楽なところで育ったのだなぁ。」
とつくづくと思いましたですよ。
成人して後、恋人が、僕と同じように海に馴染んでいる人だった場合は、デートとか、旅行も海が気軽だった。
2. 海が遠いと、モノが長持ちする。
これは、今回埼玉県に引っ越してきてから気がついたのですが、
建物とか、車とか、海が遠いと長持ちします。
高知県で住んでいた南国市のアパートは、それほど海には近くないのですが、
ドアの鍵が回りづらくなったのも、海風の影響なのかな。と今になって思います。
車も傷むの早かったし。
今住んでいるところは、建物が長持ちしますねぇ。傷まないよ、まったく。
車も金属部分が錆びることもないし。(安い車だから、塗装が結構傷んできたけれど)
おそらく、この感覚は、海に近いところと、遠いところにそれぞれ住まないと気がつかない感覚だと思いました。
「ものは壊れるモノ。」
海に近いと、賃貸アパートを退出するときにも、それなりに傷んでいてあたりまえ。
なのですが、
海が遠いところだと、「傷んでいたら、あんたの手入れが雑だったのだろう。」と言われるのだろうな。と少し警戒しています。
3. 東京(都心)は海が近い。
今勤務しているところは、それほど海に近くはないのですが、
先日残業して帰宅の途についたとき、外堀の川沿いを歩いていたら、海のにおいがしました。
吉本ばななの小説で銀座で「海のにおいがする。」というのがあったけれど、
東京の都心の方面は、海が近い。
4. 災害は対策するモノ
何年か前の台風シーズンに、日本贔屓のオーストリアのタレントが
「もう、これ以上日本を痛めつけないで、神様」
みたいなツイートをしていたけれど、
日本人としては、台風と言うのは「来ないで」と願うものではなく「対策するモノ」ですよね?
それと同じで、海の近くに住んでいれば、水害は「来ませんように(ー人ー)」と願うモノではなく、備えるモノ
ではないですかね?
雪国の人だって「大雪で大変ですね。」と雪が降らない地方の人に同情されても、それは勘違いだ。って思うでしょ?
以上、ぼくの個人的な、
海に近いところと、遠いところに住んでの感覚を述べてみました。
夏らしい夏が来ました。
学生さんは夏休み、働いている人も、もうすぐお盆休みですね。
海が近い人も、遠い人も、夏を満喫して楽しまれますように。
沢山思い出作って下さいな。