ほとんど更新していないので、よもやま話。
小学生の頃から、目立ちたがり屋で学級委員の委員長とか、児童会会長とか立候補していた。
中学校でも軟式テニス部の部長を務めたが、さほど優れたプレイヤーでもなく、みんなをまとめるカリスマがあるわけでもなく、失敗だったように思う。
高校生になったときには「トップに立つ」というのが性格に合わないことに気がつき始めていた。
しかしながら、成り行きで生徒会長になってしまったので、その対策として、例年行事での生徒代表の挨拶とか、文化祭実行委員の委員長を兼務する生徒会長の役割を放擲し、
生徒代表の挨拶は、人気があって、お話しが面白い同級生、
文化祭の実行委員長は、先生と交渉ができるやつ
適任者を見つけてきて、「お前ならやれるし、適任だからよろしく。」と任せることにした。例外的な生徒会長だった。
生徒会室では数ヶ月単位の計画表を作って、タスクの実行が滞りないように気を遣うのが関の山だった。
大学生になって、神田の自分が通う大学とは別の軽音楽サークルに参加したときも、プレイヤーではなく、PA卓で「ぜったいハウリングさせない」イコライザー調整で、任されるに到った。(つまり、レギュラーではなかった。)
指はよく動くので、楽譜があれば、弾けない曲はないのだが、
バンドのキーボードと言うのは「楽譜があれば弾ける」は、二流で、
「ベースのコードに合わせてアドリブがじゃんじゃか弾ける」
てのがキーボーディストなんですよね。
つまり、今で言う「マニピュレーター」が、僕のバンドでの立場だったということか。
それでも、EとかDが多いギターロックのコピーで小学生の時は苦手だった黒鍵が多い曲(^_^;)も苦にならなくなったし、
文化祭の前日に「やっぱ、キツイから半音下げて。」とヴォーカルの無茶振りにも対応出来た。(E→E♭ってすごい転調も弾いてみればできるものだとわかった。)
プレイヤーとしても音楽を楽しむ事は出来ていた。
仕事も、たくさんの仲間を糾合して、でっかい仕事をなしとげる。
と言うことは出来ず、
「これ設計して。」
「もっと大きい分子を合成して」
「一箇月で開発を終える計画を立てて」
など、目標を与えてもらうと、がむしゃらに実行するほうがやりやすかった。
インターネット上の活動も、個人がホームページを持てるようになった当初からバリバリやって、
オフ会などにも参加していたが(仲間に入って、気に入られて参加しようとして外されたり、と言う経験から「自分で幹事やれば良いじゃん」と幹事をしていたことあったけれど)
やはり、人を集めるのは、あまり得意ではなく、うまくくっついて行くのが楽しかった。
くっついて、北京にも行った。
と言うわけで、北京には友達のバンドに「カメラマン」として同行したのでした。
いや、マジでよもやま話にしかならなかったが、
ここで、僕が言いたいのは、
一見格好良く見えるスタープレイヤーを目指したいと思ったとしても、
自分の性格が向いていなければ、別の役割を引き受ける方が、活躍できるよね。
ということでした。
結局
仕事でも出世せず、
サークルでもレギュラーは取れず、
生徒会長をやっても表に出ず、
という僕の人生は地味でしたが、この地味な性格に気がついて、無理をしなくなってからは、それなりに心地よく、楽しく過ごせました。
そういう意味で言うと「金の掛からない趣味」としての(つまり、凝ってコンテストに応募するような写真を目指さない)カメラ趣味は、大変心地が良い趣味でございます。
技術はあった方が良い。
会議の運営とかチームワークの特性とかお勉強したのは(自分がリーダーにならなくても)役に立ったし、
コード進行とか、耳コピでベースを追っかけることが出来るようになったのは(自分が弾かないケースでも)音楽を楽しむのには、とても役に立ったし、
スポーツ観戦では唯一テニスは楽しめる。
仕事も、押しが強いわけでも無く、人をまとめるリーダーシップが取れるわけでもないけれど、なんとかサラリーマンを続けていられるのは、主に数学に苦手意識がなく、専門外の技術もお勉強して、仕事に使える程度には習得できる、学力があるからだろう、と思う。(学力がなくても、世に憚ることができる人もいることが最近わかったが、僕の場合は学力が無ければ、残念すぎることになっただろう、と思う。まさかこの歳でデータベースサーバーのお勉強をして客先でネットワークに接続して端末をセットアップするような職に就くとは思わなかったが、一応これで給料もらっているし。
不得意な分野にチャレンジすることも必要だろうとは思いますが、
自分の得意な分野で勝負するように心がけるのも良いと思います。
基本は、テイク・イット・イージーで(自分の)健康に配慮して、ゆるーく楽しい人生になったのが僕の後半に差し掛かった人生でございました。
それでは、みなさん、ごきげんよう。