daniel-yangのブログ

メインブログ「受動態」(読書感想文ブログ)とは異なる内容を気まぐれで記します。

「トラベシア」第6号「いしあいひでひこのやさしい人生」を読みました7

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'20/9/8 秋田県仙北市秋扇湖 PENTAX K-S2 DA 18-135 ISO: 100, f/11.0, 1/100s, 27mm相当
の続き
を読んでいます。
本日は、p28~35 アンケート「わっしょい! いしあいひでひこの読み方、売り方」
です。
8人のゆかりのあるひとやないひとへのアンケート結果。
8人は依田那美紀/木村有理子/小松夏子/しだゆい/竹内六弦斎/樽本周馬/荻野亮/蓑田沙希
アンケートの質問は二つ
① いしあいひでひこの文章の長所と弱点。
② いしあいひでひこをどう売り出すか。
ゆかりのある人はともかく、ゆかりないひとへのアンケートは、答える方には、タイヘンだろう。と思いました。
特に冒頭の依田那美紀の回答がおもしろかったです。ていうか、よく依頼したし、応じる方も応じたものだと思いました。それで、ちゃんと書いているし。
 
それでは、僕も(勝手にですが)答えてみましょう。
① いしあいひでひこの文章の長所
長所の第一は(文体ではなく)内容です。借り物でない、自分の思った内容を正直に書いているところです。
いしあいさんの文章の内容は、テレビでよく聞く模範的な評論や、コメントとは異なるケースがしばし見受けられます。
テレビっ子はそれを「違う」「オカシイ」と言うと思いますが、
画一的な鋳型に填まったような評論やコメントにうんざりしている人にとっては(たとえ自分の考えと違っても)
「いしあい氏は、そのように感じるのだな。」
とか
「そういう考えもあるのか。」
と新鮮さに嬉しくなります。
 
ところが、このいしあい氏のオリジナリティーを「借り物かも」とか「粉飾している」と感じる人がいると思います。
長所の第二は、自分の理解の範囲を超えたいしあい氏の文章について難癖をつける人をあぶり出すところです。自分の固定観念に他人を当てはめようとする人の、その狭量さを露呈させます。
 
短所は、教科書的な文体でないところです。(文章ではありませんが)本誌の鼎談で、質問を投げかける際に(実際の会話は成り立つので、指摘される機会が無いとおもいますが)相手に答えて欲しい内容を質問文として整えていません。
大九監督に
「そこらへんの違いが、いちばん謎です。」
と聞いていますが
「私にとっては謎です。大九監督はどのようにお考えですか。」
と聞くべきです。
 
草野監督に聞く場合も
「次の『王国』まではしばらくかかりました?」
ではなく
「しばらく時間が掛かりましたか?」
と聞くべきです。
こう言うことを言う自分(だにえる・やん)が自己嫌悪に落ちそうだな。と気がついているのですが。
 
② いしあいひでひこをどう売り出すか。
思う存分書きたいことを書いてもらったり、しゃべりたいだけしゃべってもらうのが良いと思います。思う存分書ける誌面、思う存分しゃべることができる場を提供するのが良いと思います。
その誌面なり、場を買う人が大勢でてくるようなシチュエーション作りが、いしあい氏のスタッフの仕事です。
 
そこで、いしあいさんががむしゃらに書いたり、しゃべったりし出すのはどういうシーンか、と考えました。
 
スケープゴートを立てるのが良いです。
 
本誌のように、映画のような著作物をネタにする場合に、著作者(監督)を連れてきちゃダメ。同じような評論家を連れてきて、そのもの達に見当違いのことを言わせるのが良いです。そうすると、いしあい氏が「そうじゃない、これはコウなんだよ。」としゃべり出すと思います。
 
シンポジウムや対談の場合(書くのではなく、しゃべる場合)は、
あらかじめスケープゴートに見当違いのことを書かせておいて、同じテーマについて
「次はいしあいさんの順番です。」
とバトンを渡すのが良いです。
 
私(だにえる・やん)がスケープゴート役になる場合を考えてみましょう。
僕は映画や洋楽では役に立たないので、文学作品、姫野カオルコの本で例を示します。
柴田錬三郎賞を受賞した「彼女は頭がわるいから」文春文庫2021/4/6
これについて、僕が
「前半の性の喜びの表現が素晴らしい。改心の出来だ。」
と褒めます。後半の事件については一切触れません。
いや、ホントに素晴らしい文学表現だと思っています。
「世界が違って見えた」
とよく表現される、初体験後の世界について、
それが周囲の人への自らのミラー効果による、など合理的な描写がなされているところは、今までの作品ではあまり見られなかった改心の出来だと思うのですよ。
と、僕がとんちんかんな事を、
あたかも
「みんなは、その素晴らしさを指摘するには読み込みが浅いと思いますけどね。」
とどや顔で言います。
 
すると、いしあいさんは黙っちゃいられません。
「そうじゃない、この作品は」
と魅力を語り出します。
これを、俺は聞きたいね。
 
このトラップ付き座談会を、いしあいさんが得意なサブカル分野でやるのが良い。
スケープゴートは、えらい人を連れてくるのが良い。偉ければ偉いほど良い。
堅物の大学教授で
「でも、俺はサブカルだって理解するんだぜ。」
と自慢する馬鹿。
こいつに、まずは、講釈を垂れてもらう。もう、ね。好きなだけしゃべらせるんですよ。どや顔になれば、なるほど良い。
「へへん。そこらの青二才は気がつかないかも知れないけれど、難易度の高い大学の教授であるところのおいらには、その価値がわかるし、お前らにも解るように、噛み砕いて説明してやることもできるのだよ。」
としゃべらせるのが良いです。
できるなら、大学教授以外に、インテリ気取りのひな壇芸人や、経済紙も読む専業主婦、頭の良い大学の院生、硬派なロックンローラーだけれどサブカルにも詳しいことが自慢のミュージシャン。若者に人気の(と触れ込みがある)政治家(老害の域に達する区議会議員などの類似を想定)も連れてこられるとなお良い。
五人ぐらい集めて、そこにいしあい氏の席も用意して、存分にしゃべれるようにすると良いです。
えらいキャラの人達は、お追従を言う子分を連れてくるだろうから、えらい人の発言で盛り上がり、あたかも「やっつけてやったぜ」と言う雰囲気になる。その場の観客も大喜び。
だが、ジツはネット中継もされていて、ネット民達は、怒りを露わにし、いしあい氏の擁護、応援で盛り上がっていると言う図式を創る。
すると「もっといしあい氏の話を聞きたい。」「このテーマについていしあい氏の見解を聞きたい。」とオファーががっぽり来まっせ。
 
半分はユーモアのつもりの提案ですが、8割以上は本気です。(と、半分と8割を足して十割以上になるおばかな文章で、本日の感想文はオシマイにします。
つづく(終わりと言わなければ、つづく。たとえ僕が朽ちたとしても)